上原多香子と安室奈美恵を分けたもの “色”におぼれた沖縄アーティストの惨状
■名も無き「第二の安室奈美恵」たち
彼らは後発組で、安室さんという沖縄発のレジェンドがしいたレールがもうあった。そこに安心して、「何があっても芸能界で生き残る」というハングリー精神が足りなかったのかもしれない。そして文字通り論語の言葉にもある“色”にはまってしまった。
それでも「DA PUMP」や「SPEED」は十分売れた方である。
そのほかにも、当時「第二の安室奈美恵」を目指し、アクターズスクールに通い芸能界を目指した名も無き者が沢山いた。
沖縄最大の繁華街・松山のキャバクラには、お店に一人はアクターズスクールに通って夢を見ている県外の女の子がいたものだ。アクターズスクールは、あくまで「養成所」なのでそこら辺の規則は緩かったのかもしれない。中には売れてはいないもののCDを2枚ほど出している女の子に私も会ったことがある。アクターズスクールの受講料は高く、そういった水商売をしなければならない経済的事情もあったのだろう。
彼女達は今どうしているだろうか。