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「終活」という言葉がなんと馬鹿馬鹿しいか

あなたの人生を知っているのは、あなた以外にいない 60歳からの「しばられない」生き方⑤

「老後の不安」が蔓延する日本。そんななかで、今日のいわゆる「定年本」、「老後本」の内容に異を唱え、『60歳からの「しばられない」生き方』で全く新しい考え方を提案しているのが文筆家の勢古浩爾氏だ。勢古氏自身が、34年間勤続した洋書輸入会社を2006年に退職。以後10年以上の定年後人生を歩んできた。勢古氏が提唱する定年後、老後における人生の嗜み方について訊いてみた。

「終活」なんて言葉は意味がない

 

 なにがバカくさいといって、「終活」という言葉ほどバカなものはない。クラブ活動が「部活」になったのは正当である。「就職活動」が「就活」なのもいい。「婚活」は「結婚活動」か。もうここでだめなのだが、まだ許せる。「妊活」とはなんだ。「不妊活動」か。そんな言葉はない。「不妊治療」なら「妊治」だが、それじゃだめだ。「活」がないと。で、ただ「活」をつけたのだ。

「終活」にいたっては、ただ調子に乗っただけである。「終焉活動」などはない。しかしそんなことはどうでもいいのだ。「活」をつけたかっただけである。便利だし、わかるだろ、というわけである。自分の最後をどうしようか、と考えることは無駄ではないが、「終活」という言葉に踊らされて、おれもなにか考えなくては、と焦ることはあほらしい。エンディングノートを書き、尊厳死協会に入会し、生前墓を建てて、さてあとはなにがあるんだ? と計画を立てておくのは、人それぞれだから、他人がとやかくいうことではない。自分らしい個性的な死を演出しようと考える人が出てきてもしかたがない。そういう人は「終活カウンセラー」なんかに世話になるのだろうか。

 わたしが自分の死で考えることは、「終活」とはなんの関係もなく、たったひとつ。残る者に金銭の負担をさせないように、葬式不要、戒名無用をいっておくだけである。

 墓はいらない。延命治療はもちろん断る。骨の欠片を小箱に入れて、手元供養でいい(たったひとつではなかったのか)。残りの大量の骨の処分が厄介だろうけど、なんとか処分してもらう。散骨など邪魔くさい。葬儀をケチったと人に思われないように、これは故人の遺志だということをはっきりさせておく。あとはテキトーでいい。

 ほんとうは手元供養もいらない。記憶として残るだけで十分である(それも死んでしまえばわからないが)。もし記憶してくれる人がいるとしても、その人が死ねば、そこで終わりである。

 なにをどうしても、人間はいずれ無になるのである。レジェンドとして名を残しても、当人にとっては無意味である。「終活」などは、商売人の言葉にすぎない。

 
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勢古 浩爾

せこ こうじ

1947 年、大分県生まれ。明治大学政治経済学部卒業。洋書輸入会社に入社、 34年間勤続し、2006年に退職。以後、執筆活動に専念。 著書に『いやな世の中』(ベスト新書)』、『まれに見るバカ』(洋泉社・新書y)、『自分をつくるための読書術』(筑摩書房)、『定年後のリアル』(草思社文庫)シリーズ、『ウソつきの国』(ミシマ社)など多数。


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