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中村憲剛「ここでは、サッカー選手がただサッカーをやるだけの存在ではない」川崎Fイベントの意義

中村憲剛選手12月毎日更新 Q19 川崎フロンターレと言うと企画力。これまでで印象に残っているイベントは?(前編)

川崎フロンターレといえば、様々なイベントを開催するその企画力が有名ですが、そうしたサッカー以外の企画をやることについて、中村憲剛選手はどう考えているのでしょうか?

「フロンターレの選手で良かった」と思う理由のひとつ

 かな〜り、いろいろなことをやってきましたからね。誰かに今まで僕が参加したイベントや企画の一覧を挙げてもらいたいくらいです(笑)。

 

 自分がパパになってからは、子ども向けのTV番組だったり、『VS嵐』に出演したときなど、サッカーとは関係ないところで、子どもたちから尊敬されましたね。それこそ宇宙服を着たり、バナナの被り物を被ったり、枚挙にいとまがないとは、まさにこのことを言うんじゃないでしょうか(笑)。

 

 ただ、そのすべては、身近なところから始まったんです。クラブが創設した当時は、まだまだ町や市民の方に関心を持ってもらえず、かなり大変だったと思います。自分が加入したときには、すでに今ほどではないにしても、「フロンターレがんばってね」という空気があり、雰囲気ができつつありましたが、そこから、いろいろなことをやり、チームも強くなり、その相乗効果でどんどんと盛り上がってきていると実感していきました。

 今でこそ自分も当たり前みたいになりましたけど、当初は「プロの選手ってこういうこともやるんだ」って思っていましたからね。だから、移籍してきた選手が、「えっ? フロンターレって、ここまでやるの?」と思う気持ちも分からなくはないんです(笑)。

 ただ、これは自分がフロンターレの選手で良かったと思うひとつの要素で、ここでは、サッカー選手がただサッカーをやるだけの存在ではないということ。いろいろなところに顔を出し、自分たちを知ってもらい、スタジアムに足を運んでもらって、最終的にサッカーの面白さであり、本質を知ってもらう。その意義みたいなものを、このクラブでプレーしているとものすごい感じるんです。

明日の質問は…〈Q20 川崎フロンターレと言うと企画力。これまでで印象に残っているイベントは?(後編)〉です。

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中村 憲剛

なかむら けんご

プロサッカー選手。川崎フロンターレ所属(背番号14)。

1980年10月31日生まれ。東京都小平市出身。6歳のときに府ロクサッカークラブでサッカーを始め、小金井第二中学校、都立久留米高校、中央大学を経て、2003年に川崎フロンターレに加入。2016年、歴代最年長の36歳でJリーグアウォーズ最優秀選手賞を獲得。プロ15年目を迎えた2017年現在も、チームの中心選手として活躍中。


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