豊臣秀吉、差し引き0の恩義
季節と時節でつづる戦国おりおり第456回
今から425年前の文禄4年12月1日(現在の暦で1595年12月31日)、豊臣秀吉が小早川隆景に筑前で5万石を与えました。
この年、隆景は秀吉の甥・秀俊(のち秀秋)に小早川家の家督を譲り、備後三島に隠居します。
秀吉が与えた筑前の内の5万石は、隠居料という事なのですが、鞍手郡・宗像群ほかで合わせて88ヶ村にわたる細か~い石高の合計がこの5万石(正確には50,150石)になります。
なぜこんな細か~い数の積み重ねになったかというと、これは秀吉から隆景への宛行状に「検地の上を以て」とあるように、検地によって得られた出目(増分、踏み出し)を与えるよ、という事で、隠し田の摘発や測量基準の改定(360歩一反→300歩一反)などによっての出目ですから、数字のマジックのような話であって、秀吉の懐は一切痛まないというなんとも都合の良い「加恩」です。
大増税しておいて、その増税分を配って「恩に感じろよ!」って言っているようなものですから。現在の日本の消費税率10%は1年前に2%アップされたものですが、その分が今年の「特別定額給付金」10万円になって返って来たのと同じような感覚。
程度のあまり良くない秀秋を引き取って貰えるのに、あまりにもあつかましい「恩」ではありますが、その秀秋がのちに関ヶ原合戦で豊臣家の天下人の座を終わらせる働きをするのですから、結果的にはまぁ自業自得、相応の「恩」だったのかも知れません。