転んでもタダでは起きない「カイロ流交渉術」
日本人が目を丸くするメンタリティ カイロ流交渉術④
露天商は苦笑しつつ「ほら、お土産(笑)」と靴紐を返してくれました。このように現実と虚構を織り交ぜたやりとりを楽しむ文化がカイロには残っているのです。
しかし、ここで「靴紐が返ってきてよかった」とほっとして、思考停止していてはいけません。露天商はまだ芝居を続けたいらしく「こっちの紐もどうだい」と新品を売りつけようとします。ここで応じないのは不粋です。だからといって、いきなり断ったり、値下げ交渉をしたりするのは下品です。
すかさず「これは貴方のモノだ」といって返してもらったばかりの古びた靴紐を差し出しました。すると、露天商は反射的に「これがあなたのモノだ」と新品の靴紐を差し出しました。これがカイロ流の演劇的交渉の真骨頂です。
「俺のモノはお前のモノ」「お前のモノは俺のモノ」、そんな思考や行動の様式がカイロっ子のDNAには埋め込まれています。互いの差し出したものを断るふりをしながら、自然に交換するのです。
この演劇的交渉のおかげで盗まれたはずの靴紐は新品に生まれ変わりました。でも、まだ終わりではありません。ここで別れては互いの関係がイーブンになりません。カイロ流としては、新品を差し出してくた露天商の寛大さにバクシーシを出すのが粋な計らいというものです。その額は新品の紐にふさわしいと思われる金額が妥当です。新品と中古との差額を計算するような偏狭な考えをしてはなりません。
バクシーシを渡すと、すぐに露天商は握手をもとめてきました。握手しながら、私は「靴に紐を通してくれないか」と頼みました。露天商は「お安い御用」と快諾し、私の足下にしゃがむと紐を通してくれました。
紆余曲折をへて、「靴紐を盗まれた人」と「盗んだ靴紐を売っている人」という非対等な関係は解消され、「歩き疲れた旅人」と「その靴紐を新品に替えて結びなおしてくれた善人」という新たな関係が再構築されたのです。別れ際、露天商はこういいました。
「神は、あなたの苦しみを取りのぞいてくださる御方」