日本アニメが世界を魅了できる深い理由
“神道”から生まれた「見立て」がすごい 日本人が説明できない「神道」①
例えば、アメリカ漫画を含め、海外の漫画は、一般的に現実社会に即したストレートな表現方法によって構成され、「奥行き」や「広がり」がないことが少なくありません。漫画は葛飾北斎や安藤広重の浮世絵以来、やはりアニメは、手塚治虫や宮崎駿以来、日本の方が一歩上手だといって良いでしょう。
その「見立ての力」は、よく指摘されるように、日本の和歌や漢詩にもありますが、実は神道によるところが大きいのです。
というのは、日本の神道では、「依り代(よりしろ)」というものを神に見立てているからです。それは、「大幣(おおぬさ)」であったり、「御神体」そのものであったりします。また、「依り代」は「鏡」や刀」、ときには人形のときもあります。さらには、その神社の宮司ですら「見たことがない」という姿も知れないものがあります。
また古代から、日本人は、「山」や「海」や「川」、そして人間まで「神」に見立てていました。その古代からのDNAが綿々と引き継がれているのではないでしょうか。
日本では、単なる「物」が、日本特有の精神性、つまり「魂」を持つという考え方があります。神道でも、「魂」が宿るものであれば、神様も宿るはずであると考えます。
つまり、人が誠心誠意何事かを行っていれば、自然界の森羅万象すべてに「魂」は宿り、その対象は何にでも仮託することが出来る、ということになります。
だから、当然日本にはこの「見立て」という現象が起きるわけです。
そこで大事なのは、絵の中のキャラクターたちの「息吹」です。
もともと、「アニメーション」とは「生気」という意味なのですが、日本のアニメや漫画には、生気あふれる「息吹」が見られていました。
戦後日本の巨大な文化であった劇画や四コマ漫画もそうでしたが、日本のアニメや漫画は、作り手の「魂」が込められると考えることによって、実際に常に生き生きとして、それが見る者を魅了するわけです。
実はここにも、神道が関係して来ます。日本の神道では、人間の「魂」とは、肉体で意図的に振ることによって「震えるもの」と捉えます。
例えば、戦前に川面凡児という神道家が行っていた鎮魂法は、「振魂」(ふりたま)と「鎮魂」(たましずめ)いう方法で禊などの修行法がいまも行われています。
もともとは物部一族の考え方だったといわれていますが、神や人の魂には、「荒魂」(あらみたま)と「和魂」(にぎみたま)など「四魂」があり、丹田(へその下)辺りに力を入れて深い息呼吸をしながら気持ちを振ることで、神に近づけるというものです。
ものの「魂」にはその人間の呼吸や息吹が大事、というところが日本の神道的なところでしょう。
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