気分は城攻め? 新島八重の二条城「登城」
外川淳の「城の搦め手」第47回
2013年、NHK大河ドラマの主人公になったことでもおなじみの山本(新島)八重は、明治5年4月、新設された女紅場(にょこうば)の寮長兼教師見習いとして採用された。八重が就職した女紅場は、女子専用の教育機関として、明治初期、関西を中心にして設立された。
八重が得意としたのは、大砲や小銃の撃ち方であり、女子に教える課目ではなかった。そのため、会津若松城攻防戦で培われた集団生活の経験が女子寮の責任者として役に立ったと思われる。
八重は、大参事として京都府政の実権を握る槇村正直への陳情のため、たびたび府庁のあった二条城に「登城」。八重は、戊辰戦争では攻められるサイドだったのに対し、槇村には攻めの立場だったことから、城攻めの気分で意気揚々と二条城へ赴いたという。
本ブログのタイトルは「城の搦め手」にもかかわらず、大手門が登場。昼過ぎの撮影のため、ちょっと逆光め。いい感じに城門として撮影できるアングルは限定される。
晩年の八重は、近くの銭湯で朝風呂を楽しんだと記録されることから、新島邸より南西へ約300メートルに位置する銭湯に立ち寄ってみた。
その銭湯は、7年ほど前に外観は撮影したものの、まだ入浴はしていなかった。番台の御主人に「銭湯を巡るのを趣味としていまして」と、毎度のきっかけゼリフを話しかけてから、「とても立派な作りですが、創業は戦前でしょうか」と、問いかけてみた。
すると、「大正です」という期待以上の答えが・・。
御主人にメディアへの掲載の可否を確認しなかったため、屋号は非公開。その後の会話から、八重が入浴したという伝承はないが、新島邸との位置的関係から、八重は、この銭湯を愛用したらしいということがわかった。
ちなみに、御主人は二条城の研究家でもあり、数冊の著作も拝見させていただいた。