ヴェノナ文書研究が暴いたスターリンの戦争責任
ソ連のスパイたちの対米工作が明らかに インテリジェンス・ヒストリー⑤
一九五〇年には、共和党のジョゼフ・マッカーシー上院議員が「国務省内にいる共産主義者の名簿を入手した」と発言し、親ソ政策を進めた政府高官らの責任を追及しました。
当時、実はFBIが政府高官らの盗聴記録を持っており、ソ連工作員が政権に浸透している事実を摑んでいました。しかし、盗聴記録は法廷で使うことができず、これらの告発は不十分なまま終わってしまいます。
メディアはマッカーシー議員を、「無実の市民にスパイの濡れ衣を着せて迫害した」、「中世の魔女狩りと同様に野蛮な『赤狩り』を行った言論弾圧者だ」と非難しました。
確かにマッカーシー議員の追及のやり方はいたずらに過激すぎて無用の反発を買った面があり、共産主義の脅威を防ぐ真剣な努力がかえって信用を失いかねないという指摘もあったのですが(クリスティーナ・シェルトン『アルジャー・ヒス(Alger Hiss)』, Threshold Editions, 2012, p.82)、それにしてもマッカーシーへの批判は激しいものでした。
マッカーシーは、「思想と言論の自由を破壊するデマゴギーの代名詞」として非難され、マッカーシーを非難しない知識人や政治家は良識も知性もないと決めつけるような言説が溢れました。
一九五四年に上院でマッカーシー議員に対する譴責の採決が行われたとき、手術後の療養中で投票に行けなかったジョン・F・ケネディは、二年後に民主党副大統領候補に立候補したときの民主党大会で、ルーズヴェルト夫人のエレノアに「マッカーシーの件で肝心なときに反対票を投じなかった」と非難され、指名を得られなかったほどです。
(『日本は誰と戦ったのか』より抜粋)