日本が侵略戦争をした証拠!?「田中上奏文」
メディアリテラシーを高める必須教養「世界を動かした『偽書』の歴史」
■ 怪文書として登場した日本の運命を決めた偽書
「田中上奏文」は偽書といっても、「本」ではなく、まさに「文書」である。
「怪文書」ともいわれるが、広義の「偽書」といっていい。「田中メモリアル」「田中覚書」などとも呼ばれる。日本が侵略戦争をした証拠のひとつともされるが、謎の多い文書なのだ。「田中」とは、戦前の総理大臣・田中義一(一八六四~一九二九)のことだ。
一九二七年、田中首相は昭和天皇に対し、満洲と蒙古を征服するための具体的な手順を記した文書を上奏した。これが、「田中上奏文」と呼ばれる文書だ。しかし日本政府はこの文書の存在を公には認めていない。
この「田中上奏文」が公になると、日本が中国を侵略し、さらには世界征服を企んでいる証拠だということになる。『シオン賢者の議定書』の日本版みたいなものだ。
「田中上奏文」の存在が明らかになったのは、一九二九年十二月に中国の南京で発行されていた月刊誌『時事月報』に掲載されたのが最初とされているが、その存在は、数か月前から日中双方の外交関係者の間では知られていたようだ。
中国がこの文書を入手して、第三回太平洋会議の場で公表しようとしているとの情報が、日本の外務省に入り、その文書を入手して調べたところ、内容の間違いや書式に不自然な点が多くあり、当初から日本側は「偽書」と考えていた。中国政府に対しては、日本以外の国の外交筋からも「怪文書だから公表しないほうがいい」と伝えられ、会議で発表されることはなかった。
ところが、その文書がどこかから漏れて雑誌に掲載された。
「田中上奏文」は中国語に翻訳されたものが掲載された。中国の雑誌なのだから当たり前だ。
しかし、その原文となる日本語は、いまだに発表されていない。
原典の存在が確認できないのは「偽書」の特徴のひとつだ。つまり、「田中上奏文」は「偽書」としての条件を十分に満たしていることにもなる。原典が公表されていないことから、これを偽書と確定することも難しい。現物の文書があれば、それを鑑定すれば偽書と分かるが、原文が公にされていないので、文法的に不自然なところなどが指摘できない。
内容はかなりの長文で、「満蒙は支那に非らず」という刺激的な宣言に始まり、内外蒙古に対する日本の積極政策、朝鮮への移民の奨励及び保護政策、満蒙鉄道をはじめとする鉄道網を作ることと満鉄会社経営方針変更の必要など、日本の大陸政策全般にわたる考えが書かれていた。
雑誌だけでなく書籍としても出るという情報を摑んだ日本政府は、中国政府に対し取り締まるよう要請したが、中国側は「できるだけのことをするが、なかなか難しいので、言い分があるのなら、説明したほうがいい」との答えだった。
「上奏文」は英文にも翻訳されたが、この時点では、世界中で大騒ぎになったわけではない。