【75年前の今日、残念な日本へ】1946年2月3日、マッカーサー元帥がGHQ民政局に新憲法草案作成を指示
平民ジャパン「今日は何の日」:14ニャンめ
◼︎その時、鶴の一声で・・・たった1週間で
鶴の一声、経験豊富な弁護士出身の軍人で固めたGHQ民政局は、わずか1週間で憲法草案をつくった。エンペラーは元首ではなく、国家と人民統合のシンボルとされた。「マッカーサー草案」をもとに、戦後日本の生き方が決定された。天皇の一声で近代国家がつくられた明治維新以来の、事実上の無血革命だった。
310万人の日本人を亡くした戦争とジェノサイド(大量殺戮)が終わって、半年も経っていなかった。
日本を軍国主義と封建制度から「解放」してくださったマ元帥閣下の前に、指導者も新聞も自らパンツを脱いで服従した。天皇の赤子たちも征服者を歓迎した。占領政策は人権を筆頭に、法制度、政治制度、社会制度の全領域に及んだ。
20万人以上が公職追放に遭い、大中小80社を超える財閥が解体された。
労働組合がつくられ、組織労働者の数は爆発的に増えた。
農地改革は先祖代々の寄生地主の土地所有を引っぺがし、社会主義革命並みの過激さで地主制度を亡ぼした。
女性参政権は戦後初の総選挙で39名の女性国会議員を誕生させた。
不眠不休で働いて、闇市で物資をつかみ、飢餓寸前の敗戦期を生き延びた。占領3年後、「逆コース」と言われた方向転換にあっても、右と言われれば右を向いた。
朝鮮戦争時、マ元帥が本国を無視して暴走し、トルーマン大統領に解任されたときも、新聞は「理由の如何を問わず残念」と名残り惜しんだ。
守護神は二千日(5年8か月)君臨した後、日本国民にグッバイも言わず去った。日本人は日本にとって不都合な記憶のゴミは分別もせず、路傍に捨てて、忘却した。
改憲と護憲、反米と親米という単純化で思考停止のまま、論理と向き合うことなく、情緒に身を任せ、日本は年老いた。焼け跡の中、借り物ともらい物の素材で建てた安普請も、誰も攻めてこなければ、マイスイートホームだ。核の傘に守られて安心、耐震補強も万全のはずだ。永遠の敗戦、永久の占領、永劫のお花畑と言われても、気にはしない。便利な回遊動線をめぐり続ける国民と、いつまでも責任をとる気の無い政治に議論はナシだ。年年歳歳、広がる格差も固定していくこの国で、マ元帥がこだわった人権、公平は大丈夫か。答えをくれたマ元帥は、もういない。
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