【75年前の今日、残念な日本へ】1946年2月3日、マッカーサー元帥がGHQ民政局に新憲法草案作成を指示
平民ジャパン「今日は何の日」:14ニャンめ
◼︎国家開闢以来初の占領に対して、日本人は従順だった
マ元帥とGHQは、日本政府のトップに対して次々と「憲法の自由主義化」を求めた。お育ちの良い御仁ばかりの敗戦リーダーたちは、無自覚、無責任、無方針を集団で引き摺っていた。
新しい現実への認識は希薄だった。
明治憲法の文字だけいじった政府案を新聞にスッパ抜かれて、GHQを呆れさせた。1946年2月13日、GHQは一週間でつくったマッカーサー草案を政府に突き付けた。政府首脳には抵抗する意思も能力もなかった。それをもとに大急ぎで「憲法改正草案要綱」を策定し、同年3月6日に発表した。
マ元帥は事前にアメリカ本国に内容を知らせてもいなかった。
極東委員会(ソ連を含む連合軍諸国11か国)はマッカーサーにブレーキをかけようとしていたが、タッチの差で逃げ切られた。国民は、急進的な内容に驚いたが、腹を満たせない憲法に興味はなかった。その日のメシを食うことで精一杯だった。正座して玉音放送を聞かされ、直立不動の現人神とポケットに手を突っ込んだマ元帥のツーショットを見せられた時点で、幻想は幻滅に転じていた。小学生ですら事態の何たるかを受け止めていた。すでに大人たちは「マ元帥!」と崇め、慕い、従っていた。国家開闢以来初の占領に対して、日本人は従順だった。
ウダウダしていた政府も一転して、サクサク作業を進め、同年11月3日、日本国憲法が公布された。マ元帥の思想的確信と豪腕なくして、決して実現しえなかった早業だった。
マッカーサー草案をGHQに手交されて泡を食った一人、松本烝治国務大臣は、8年以上たった1954年7月の憲法調査会で「天皇の身柄をとられて脅された」「押し付けられた」と演説した。これが「脅迫説」として拡散した。
外務大臣としてその場にいた吉田茂は「覚えてない」、吉田側近の白洲次郎も「記憶にありませんね」と言った。マ元帥を後ろ盾に首相となった吉田茂は、虎の威を借りて走り、首相を5回も務めて一時代を築いた。その孫(麻生太郎)までが、のちに首相となった。
マ元帥も米国政府も、戦後日本統治のために、天皇の戦争責任を問わず、天皇制を維持することは織り込み済みだった。戦後日本は、すでに戦争中から、アメリカによって設計されていた。脅迫もへったくれもなかった。日和見主義者たちは、マ元帥の絶対権力を己れのためにフル活用した。
◼︎「改憲」「護憲」という不思議の国の出来レース
GHQに一蹴された政府案に先んじて、1945年12月26日、民間での憲法制定準備を目的に結成された私的グループによる「憲法草案要綱」 が官邸に提出されていた。マッカーサー草案は、これをおおいに参考にしていた。
このことを裏付ける文書は1959年になって表に出た。この「要綱」は国民主権を採用しつつ、「国家的儀礼を司る天皇」制の存続を認めていた。
タカ派をウリにして101歳で大往生した中曾根康弘元首相は生前、「あのころの日本人が出した自主憲法の草案のナンバーワン」「マッカーサーから案をつきつけられる前に草案を出していたところに意味があり、先見性があった」と言っている。
情報が早い者、仕事が速い者が先手を打つ。
日本国憲法の思想と枠組みはGHQがまるっと作文したわけではない。日本人が予め構想したものだった。押し付け憲法という紋切型プロパガンダが功を奏している日本では、これも忘れられた。
「要綱」の最後には現憲法とほぼ同様の憲法改正条項があった。ただし、「この憲法公布後遅くも10年以内に国民授票による新憲法の制定をなすべし」とも書かれていた。日本国憲法は言わば占領による暫定措置で、1955~56年までには、国民投票による新たな憲法制定を想定していた。
歴史の皮肉がまたここにある。
1955年の保守合同によって、自主憲法制定を綱領に掲げる政党が結党された。以来、自由民主党はつねに改憲論を主唱、ほぼ一貫して政権の座にあり続ける。護憲を売り物にした社会党は消滅し、立憲を党名に冠する政党がいまその空白を補完する。
超長期政権を担う最大政党が自らの憲法に疑義を呈し続け、万年野党が憲法の美徳を訴え続ける。「不思議の国の出来レース」となって、65年が過ぎた。これもまた、憲法のもたらした結果かもしれない。
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