みんな大好き森喜朗さん、予想通り「辞してなおも輝く」一部始終
【連載】山本一郎「コップの中の百年戦争 ―世の中の不条理やカラクリの根源とは―」
ただ、じゃあその森喜朗発言そのものを全文読んで、まあ確かに女性蔑視発言と読める個所もあるけれども、マスコミによる発言の切り貼りがまったくなかったかと言われればそうとも言えず、森喜朗さんの言いたいことの真意は明らかに別のところにあって、本人も謝罪して撤回している発言に対して詰問してその役職を追うほどの失言だったのか、というのは無くもありません。
森喜朗さんが謝罪してなおも批判が収まらず、メディアも殴り放題で、ある種のいじめと同じ構造でポリコレ的な正義を振り回してレッテルを貼り、退任するまで追い込む図式というのは実に微妙なところで、これを見たら、会長の後任人事なんて決まるわけがないんですよ。挙手したり、指名されて、うっかり名前が取り沙汰されたら最後、その人物の過去の発言を掘り起こされて、女性蔑視だ民族差別だとレッテルを貼られ、どうとでも批判をされることになります。
ましてや、東京オリパラ組織委員会の会長候補に名前を挙げられるような一定の社会的地位に至る人が、何のスキャンダルもホコリもなく登り詰めたのかと言われれば、誰もが少しはスネ傷の10や20もあるでしょう。
しかも、森喜朗さんにおいては女性蔑視発言とある種の上げ足を取られる中で「だから日本は男女平等ではなく、高齢男性による閉鎖的な社会なのだ」という社会評論の切り取られ方までしています。一面では確かに森喜朗的なるものが戦後の古い日本社会や組織運営において、かなりの問題を温存してきて、令和に続く閉塞感の理由になってきたのもまた事実です。
でも、だからといって森喜朗さんは不適切だからけしからんと東京オリンピック開催4カ月前になって会長のクビを取ることで起きる混乱に見合う議論なのかね、という話でもあります。確かに森喜朗さんの話は恥ずかしい内容も含むけれども、マスコミが総がかりになってタコ殴りにする割に、その後必ず起きるであろう混乱に対しては無責任で、後任に誰がなっても批判の対象となるならば、官邸や世耕弘成さんが当初「余人をもって代えがたい」と評したのも分からないでもありません。
森喜朗さんの一連の発言を無理に失言と拡大解釈されて報道された件に関しては、森喜朗さん本人も謝罪して、東京オリンピック開催か、再延期か、中止かを冷静に議論するべきだったろうとは思います。それを、日本社会の後進性の象徴として国際的な問題に仕立て上げ、森喜朗さんの会長辞任問題で一週間以上大騒ぎしています。たぶん、東京オリンピックの開催中止が決まったら、その戦犯として森喜朗さんをさらに祀り上げて批判をすることになるのでしょう。
突き詰めて言えば、これらの問題は南京大虐殺報道にせよ従軍慰安婦報道にせよ、戦争での悲惨な事件があったことは間違いないのだけれど、それは歴史的にしっかりと検証して過去の日本の戦争に対して贖罪していくべきところが、日本国内マスコミの暴走によって事件が拡大解釈され、中国や韓国に対して正体不明の歴史カードとされてしまって国益をおおいに損ねた歴史と大差ないように見えます。
同様に、福島第一原発事故においても、ヒステリックに放射能がくると煽り、確かに放射性物質での汚染被害があったことは間違いないけど福島県全体をフクシマと報じてあたかも福島の県民や農産物、企業などがすべて汚染されているかのような報道を繰り返した挙句、明らかなオーバーキルであったことが後日分かっても訂正報道もなくいまだに海外では福島県の農産品が輸入規制・停止になっている二次被害もまた起きていたことともほぼ同義です。