AJ6は当時としては斬新な「蛍光色バッシュ」だった【エアジョーダン秘史(6)】
1985年の1stモデルから今なお続くレジェンドバッシュのヒストリー。
第6回は、1991年発売の「AIR JORDAN 6」。
“素足感覚”を求めるMJのリクエストにより、AJ6はつま先の補強をなくしたプレーントゥ仕様へと進化した。さらに、アッパーはスケルトンフレームが全体を包み込む、よりシンプルな構造となっている。これを履いたMJ(マイケル・ジョーダン)はついにNBA王座を獲得するーー。
大胆なモデルチェンジを敢行し、
MJに念願の王座をもたらす!
“ハイテクバッシュ”として不動の地位を確立
'80年代後半から'90年代前半にかけて、ナイキのバッシュは機能的に飛躍的な進歩を遂げたが、そうしたナイキ・バッシュ“ハイテク化”の先鋒になったモデルと言えるのが'91年にデビューしたAJ6だ。前作までのAJはアッパーを何枚ものパーツで補強していたが、AJ6ではそうした補強を可能な限り廃し、スケルトンと呼ばれるフレームがアッパー全体を補強する構造となっている。このモデルを開発するにあたってMJはティンカー・ハットフィールドと何度もディスカッションを重ねたが、その結果採用されたのがプレーントゥ仕様。これは、「つま先を開放してプレーしたい」という彼のリクエストを反映させたものだ。
AJ5からの流れで、このモデルもアメリカで大ヒットを記録。日本のファッション雑誌が積極的にAJを取り上げ始めたのも、このAJ6がデビューした頃からだ。オリジナルカラーは、白×インフラ(蛍光)レッド、白×青、白×マルーン、黒×インフラレッド、そして白×カーマインの5色だが、蛍光色を使ったバッシュは当時としてはかなり斬新だった。また、唯一アッパーが2色の切り替えカラーとなっているカーマインは、もっとも高い人気を誇る。
なお、このAJ6を履いたMJは、カンファレンスファイナルでピストンズを破り、ファイナルに進出。マジック・ジョンソン率いるLAレイカーズを破り、ついに念願のNBA制覇を成し遂げた。
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