【85年前の今日、大雪を血に染めて】1936年2月26日、二・二六(ニイニイロク)事件はいま!《昭和と令和の断絶する維新「うっせぇわ」》
平民ジャパン「今日は何の日」:15ニャンめ
◼︎「気分で殺して、希望は死刑」が令和維新
決起将校すら攻めあぐねる令和日本の不感症には、冷血な統制派も血の気を失う。不埒な議員、厚顔な官僚のアンサツを謀るテロリストなど、もういない。その代わり一匹の怒れる黒い羊が30人以上のとなりの誰かをたやすく殺戮する。徒党すら組めない時代には、共に蹶起する同志も、一緒に死んでいく戦友もなく、同人イベントに「ぼっち」が蝟集する。自意識と実力が乖離を続ける日本は、眼高くして手低し。ゲームの中では主人公でも、実人生では何者にもなれない。その鬱屈が沈殿分離する。
敗北の代償として遺されたそれが決起の変異ならば、二・二六の遺伝子はすでに環境適合を遂げている。年々犯罪が減少する社会では、テロの動機も失われ、ただ「ぶっ殺してやる」だけが、定まらない標的に向かう。地味に確実に、津山三十人殺し(1938年死者30人)よりも簡単に、池田小(2001年死者8+負傷者15)、秋葉原(2008年死者7+負傷者10)、相模原(2016年死者19+負傷者26)、京アニ(2019年死者36+負傷者34)…と虐殺の記録は更新される。
テロ等準備罪におけるテロの定義たりえず、凄惨な結果は防御不能だ。理由らしい理由は無く、殺すなら「だれでもよかった」。
「気分で殺して、希望は死刑」が令和維新だ。
裁判は儀式で、死刑は執行。真相は闇も伝統だ。
アメリカでは、キレた高校生が自動小銃をぶっ放す。
日本では、小学生が「うっせぇわ」と歌う。
平民ジャパンに告ぐ。
そろそろ、また青年将校がやってくる。
彼らは同じパタンで攻めてはこない。
悲しみと憤りのマグマが溜まり、地底で疎外されている。
個人の狂気は時代の凶器だ。
世直しの定義と悲劇のカタチは時代とともに、変化する。
お涙頂戴されている場合ではない。■
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