不穏な時代の「価値ある読書」こそ人間を精神から鍛えなおしてくれる【福田和也】
“知の怪物”が語る「生きる感性と才覚の磨き方」
■読書は、時間を作りだす
本は、人によってさまざまな顔を見せる、と同時に同じ人間にとっても、異なる顔を提示する。そのような違い、その差異がもたらす自由を楽しむということが、本を読むということだし、そのような楽しみを学ぶこと、豊かにすることが、そのまま人生の豊饒につながっているのだ。
本を読むということは、映画監督になることだ、と云ってもいい。
同じような脚本をもとにしても、出来てくる映画がまったく違うのと同じように、同じ本でも、読む人によってはまったく違う世界が「上演」される。登場人物のキャスティングや衣装も人さまざまなら、ほかの誰もが読み飛ばす一行を、大アップの長回しにして味わう人もいるだろう。
もっとも大事なことは、一行の文章からあなたが想起する場面は、そのまま実際の人生で出会ったさまざまな事物、出来事からあなたが感じ取れるさまざまな感慨や発想の厚み、つまりは生きることの味わいそのものに対応しているということだ。
本を読むのは、人生を作ること。
生きることを、世界を、さまざまな人々を、出来事を、風景を、しっかりと味わい、その意味と感触を把握し、刻み込むためには、最高の訓練だ。
本はただ味わいを作りだすだけではない。
読書は、時間を作りだす。
音楽や映画は、あるいはゲームは作品自体のなかに時間が組み込まれている。それぞれの長さは、享受の仕方によって異なるとしても、基本的に作品に内包されている。
しかし、書物には時間は組み込まれていない。ただ、紙に印刷された文字があるだけだ。
書物の「上演時間」は、人によって千差万別である。しかもそれは、まったく作品自体によっては決定されない。ただ読者によって、つまりは読み、理解し、想起するという精神の働きだけによって決定される。
このことの恐ろしさ、面白さを理解できるだろうか。
時計の針はただゼンマイの撥(は)ねようとする運動によって動いているだけだ。地球はただ、惑星間の重力の関係で回っているだけだ。そこには、時間などというものはない。
人間にとって時間はただ、精神のなかに、継起するさまざまな事柄を了解し、感得する精神の動きだけに存在している。記憶と期待に引き裂かれた、人間の人生にのみ、時間は存在しているのだ。
ゆえに、時間は平等ではない。あらゆる人にとって時間は均質に過ぎるわけではない。
むしろ時間ほど不平等なものはない、と云った方がいいかもしれない。
豊かな人生とは、自らゆったりとした、表情豊かな時間を作りだせる者にだけ可能だ。
音楽や映画は、人に時間を圧しつける。
書物だけが、人に時間を自ら養い、育てることを教える。
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文藝評論家・福田和也の名エッセイ・批評を初選集
◆第一部「なぜ本を読むのか」
◆第二部「批評とは何か」
◆第三部「乱世を生きる」
総頁832頁の【完全保存版】
◎中瀬ゆかり氏 (新潮社出版部部長)
「刃物のような批評眼、圧死するほどの知の埋蔵量。
彼の登場は文壇的“事件"であり、圧倒的“天才"かつ“天災"であった。
これほどの『知の怪物』に伴走できたことは編集者人生の誉れである。」