ノムさんの独白。サッチーをなくし痛感した自分の「弱さ」
野村の哲学ノート①
■本当にいい奥さんだった。
すぐ救急車を呼び、沙知代は病院に搬送されたのだが、その時にはすでに息はなかった。死因は虚血性心不全ということだった。
前日の夜も行きつけのレストランで一緒に食事をし、元気な姿を見せていたというのに、こんなにあっけない別れが訪れるとは夢にも思わなかった。
「人間の命って、こんなに簡単なものなのか」
心から、そう感じざるを得なかった。
「大丈夫よ」と沙知代らしく強気に返してくれたその言葉が、私たち夫婦の最期の会話となった。
集中できる環境を作ってくれた。私にとっては本当にいい奥さんだった。
事あるごとに、「なんで結婚したの? どうして別れないの?」
と聞かれたこともあったが、夫婦の数だけさまざまな形があるように、夫婦のことはその夫婦にしかわからないのだ。
私はもともと弱い人間である。亡くなった今、その弱さをより痛感している。夜に帰宅したとき、沙知代がいつも起きて待ってくれたものだが、もう叫ぼうが喚こうが、誰も反応してくれない。寂しさを感じざるを得ない。
それに対して、沙知代には、いかなることにも動じない強さがあった。弱音も一切吐かなかった。そうした正反対の性格が、逆に相性のよさにつながったのかもしれない。喧嘩もほとんどしたことがなかった。
生前、沙知代はこんなことを言っていた。
「夫は牛若丸で、私は弁慶。いつもこの人の前に立ちはだかって、『矢でも鉄砲でも持ってこい!』って言って、守り通してきたの」
その言葉の通り、一生懸命尽くしてくれて、野球しか能がない男のために野球だけに集中できる環境を作ってくれた。私にとっては本当にいい奥さんだった。
今のところ、「沙知代にもっとこうしてあげればよかった」という気持ちは抱いていない。衣食住すべてで何の不満もなかっただろうし、克則といういい子供にも恵まれた。女性として母親として、沙知代は幸せな人生を送ることができたのではないかと思う。
(『野村の哲学ノート「なんとかなるわよ」』から構成)
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