南海ホークスをクビに。落ち込むノムさんを救った「なんとかなるわよ」
野村の哲学ノート③
■南海ホークスを解任され…裸一貫での出発
解任が決まった直後、川勝オーナーから個人的に呼ばれ、二人きりで話す機会があった。その場でオーナーは、
「野村君、申し訳ない。俺一人ではかばいきれなかった。どうか許してくれ」
と、わざわざ謝罪の言葉まで口にしてくれた。私の不徳が招いた解任劇だっただけに、こちらこそ申し訳ない気持ちで一杯だったが、そこまで気にしてくれる人がいるだけで本当にありがたかった。
私としては、今後の身の振り方について早く考えなければならなかった。沙知代とはまだ籍を入れていなかったが、2人の間に生まれた息子の克則(現ヤクルトスワローズ2軍バッテリーコーチ)はまだ4歳だった。
ただ、スキャンダルの影響が予想以上に大きく、予定されていた日本シリーズのゲスト解説の話もなくなり、
「俺はもう、プロ野球の世界で生きていくことはできないのか……」
とも思い始めていた。そんなとき、
「東京に行こう!」
と言い出したのが沙知代だった。
もともと大阪の水があまり合わず、故郷の福島を離れてから長く住んでいた東京に戻りたいという気持ちを抱いていたところに、自分へのバッシングと私のクビである。もはや大阪に未練はなかったのだろう。沙知代の固い意志に私と克則も引っ張られ、急遽東京行きが決まった。
その際、住んでいたマンションを引き払い、荷物はほとんど処分した。
こうして、私たち3人は自動車にわずかな荷物を載せ、東京へ向かうこととなった。まさに裸一貫での出発だった。
しかし、私は生まれてこのかた関西で暮らしていた人間だっただけに、東京に何かアテがあるわけではなかった。それどころか、「野村-野球=ゼロ」と公言していたように、私から野球を取ったら何も残らない。42歳という年齢を考えると、他に働き口があるかもわからなかった。