南海ホークスをクビに。落ち込むノムさんを救った「なんとかなるわよ」
野村の哲学ノート③
■「なんとかなるわよ」に勇気づけられた
「ああ、厄年って本当にあるんだな……」
「これからどうやって生きていけばいいんだ、俺は。お先真っ暗だ……」
マイナス思考の私は心の底からしょげまくり、自動車を運転して東名高速を走っているときも、ひとりで愚痴ばかりこぼしていた。
そんなとき、沙知代が大きな声で口にしたのが、
「なんとかなるわよ」
という言葉だったのである。
後に、沙知代がそのときの心境について、
「ただ野球の仕事を失っただけなのに、『何よ、この男?』って思ったわよ」
と話したことがあるのだが、野球に詳しくない身からしてみれば、私が築き上げてきた実績や名声などわからないし、興味もない。こうなってしまった以上、泣き言など言っている場合ではなく、
「とにかく自分が東京で頑張っていくしかない。そうすれば、絶対になんとかなる」
という気持ちが強かったのだろう。実際、当時から顔が広かったこともあり、自分で仕事を見つけ、稼いでいく自信もあったのではないかと思う。
だから、私にはあまり期待していなかったはずだ。ただ、「なんとかなるわよ」というプラス思考のひと言は、胸に激しく響いた。
「そうか。なんとかなるか。俺も一緒についていって、やれる限りのことをやってみるしかないな」
と、勇気づけられた日のことを、今でも忘れられない。
その後、私はどうなったのかというと、ありがたいことに再びユニフォームを着ることになった。
(『野村の哲学ノート「なんとかなるわよ」』から構成)