「文の時代・大正を象徴した作家の“殉死”、細菌の狩人と呼ばれた医学者の“戦死”」1927(昭和2)年 1928(昭和3)年【連載:死の百年史1921-2020】第7回
連載:死の百年史1921-2020 (作家・宝泉薫)
死のかたちから見えてくる人間と社会の実相。過去百年の日本と世界を、さまざまな命の終わり方を通して浮き彫りにする。第7回は1927(昭和2)年と1928(昭和3)年。文学賞になった芥川龍之介と千円札になった野口英世の欠落も含めた本質に迫る。
■1927(昭和2)年
スター作家の時代的な死、それは普遍的な死でもあった
芥川龍之介(享年35)
昭和元(1926)年は1週間しかなかった。また、大正元(1912)年に明治天皇の崩御に殉じた乃木希典のような大物の死もなく、そのため、年が明けても、時代が変わったという気分はやや薄かったようだ。
そんななか、時代の変わり目を感じさせたのが、芥川龍之介の死である。昭和2年7月24日に、35歳で薬物自殺を遂げた。その最期は号外が配られるほど大々的に報じられ、東京朝日新聞は社会面1頁分をそれだけで埋めている。遺書も一通が全文掲載された。当時の若手作家・浅見淵は「大正時代が急に遠くなってしまったような感じがした」という。
それから80年後、現代を代表する作家である村上春樹も、芥川と大正について言及している。その自殺を「優れた大正教養人」による「個人的な敗北宣言」だったとして、こう解説したのだ。
「彼の死と前後して、大正時代に花開いたデモクラシーへの機運は、あだ花としてむなしく枯れしぼんでしまうことになった。やがて軍靴の音があたりに響き渡り始める。芥川という作家の存在は、おそらくその時代の短い栄華と、静かな敗北の象徴として、日本文学史に大きく輝いている」(『芥川龍之介短篇集』ジェイ・ルービン 編 村上春樹 序)
いささか大げさな気もするが、たしかに芥川の創作と大正とはほぼ重なっている。大正2年に一高から東大に進み、翌年、処女作『老年』を発表。その翌年には夏目漱石門下となって、精力的な執筆活動を始めた。それは死の前日に『続西方の人』を書き上げるまで続く。
作風についても大正的というか、明治の文学にはない、軽さや自由、個人主義というものが持ち味だった。また、新聞社の海外特派員として革命後の中国の混迷をルポしたり、関東大震災では自警団に加わった経験から朝鮮人迫害に苦言を呈したりもした。晩年には、暗い内面を赤裸々に告白する手法も見せ、そのきらびやかな活躍はまさにスター作家である。
ちなみに、師の漱石は『こころ』のなかで乃木の殉死に触れ、明治の終わりを描いたが、芥川は乃木をモデルにした『将軍』においてその前時代的な意識を批判している。にもかかわらず、今度は自ら大正の終わりを体現することになった。ただ、これは光栄な皮肉かもしれない。ある意味、乃木が武の時代である明治に殉じたように、芥川は文の時代である大正に殉じたともいえる。
しかし、どんなに時代的であっても、死はあくまで個人のものだ。自殺の原因も彼のなかにあったのだろう。遺書に記された「将来に対する唯ぼんやりした不安」についてはさまざまな想像が可能だが、やはり発狂した母親のことは避けて通れない。自分も狂うのではないかという不安は、賢く繊細な芥川にはなおさら恐怖だったはずだ。
また、30代に入った頃から病苦にも悩まされた。不眠や頭痛、神経衰弱、下痢、痔などである。人間関係にも煩わされ、大した儲けにもならなかった『近代日本文芸読本』の編纂をめぐって先輩作家に叩かれたりもした。創作以外に関しては「赤ん坊」のようでいたかったという人にとって、これはストレスでしかない。本業では内面告白の手法が新たな評価を得たものの、彼にとっての内面とは、発狂への不安や死への憧憬だったから、必ずしも健全なことではなかった。
そこから逃れようとして、彼は恋愛に救いを求める。ただ、その相手が魔性の人妻だったり、そもそもこちらも妻子がいる身だから、安楽にはつながらなかった。
そんな夫の姿を近くで見ていた妻の気持ちはどうだったのだろう。2年ほど前から、自殺されるのではという不安にさいなまれ、だがついにそれを決行された際には、こんな言葉をかけたという。
「お父さん、よかったですね」
生きる苦しみから解放された夫へのねぎらいなのだろうが、そこには彼女自身がこれで解放されるという安堵も秘められていたのかもしれない。
芥川の命日は「河童忌」と呼ばれる。死の数ヶ月前に書かれた『河童』のなかで、彼は河童の胎児に「僕は生れたくありません」と言わせた。これは『侏儒の言葉』のなかの「人生は地獄よりも地獄的である」というアフォリズムにも符合するものだ。
ただ、こういう厭世的な感覚は芥川のみならず、現代人なら大なり小なり持ち合わせているのではなかろうか。時代的に見える彼の死は、そんな普遍的な死でもあった。
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