「文の時代・大正を象徴した作家の“殉死”、細菌の狩人と呼ばれた医学者の“戦死”」1927(昭和2)年 1928(昭和3)年【連載:死の百年史1921-2020】第7回 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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「文の時代・大正を象徴した作家の“殉死”、細菌の狩人と呼ばれた医学者の“戦死”」1927(昭和2)年 1928(昭和3)年【連載:死の百年史1921-2020】第7回

連載:死の百年史1921-2020 (作家・宝泉薫)

野口英世(享年51)

 

■1928(昭和3)年

ノーベル賞候補にもなった努力の人の借金の才能

野口英世(享年51)

 野口英世は日本を代表する「偉人」である。福島の貧農の家に生まれ、才能と努力によって障害を乗り越え、世界的な医学者となった。その個性的で波瀾万丈な生涯は数々のあだ名からもうかがえる。

 1歳のとき、囲炉裏に落ちて左手に大やけどを負ったことから「てんぼう(手ん棒)」とからかわれた子供時代。手術である程度自由に動かせるようになると、医者を志し、米国に渡ってからは「東洋のモンキー」「実験マシーン」と呼ばれながら、業績を積み上げていった。繊細かつタフな研究ぶりで「細菌の狩人」「人間ダイナモ(発電機)」として名を馳せ、ノーベル賞候補になること4度。最後は「医聖」と讃えられるようになる。

 が、彼にはもうひとつ、あだ名があった。「借金の天才」だ。高等小学校のとき、勉強を教えてやっていた級友(厳密にはその父)から教科書代を借りたのを皮切りに、彼の青年期は借金が絶え間なく連続していく。何しろ、借りてもすぐに使ってしまうので、蓄えることができない。支援者だった大物歯科医や高等小学校の教頭、星新一の父でもあった製薬会社社長などから借りまくり、大好きな遊興とその時点での借金返済などにあてた。ほとんど自転車操業である。

 なかでも、傑作なのが渡米時のエピソードだ。温泉旅館でたまたま知り合った資産家夫人に気に入られ、姪の婿にと請われた彼は、それと引き換えに渡米費用を出させることに成功する。本気で結婚する気などないことを知る人々は危ぶんだが、留学のことしか頭にない当人は大喜び。その勢いで渡航数日前に大宴会を開き、渡米費用をほとんど使ってしまった。

 結局、泣きつかれた大物歯科医が高利貸しから借金して穴埋めすることに。その後、野口は婚約を解消したため、もらった渡米費用もこの大物歯科医が代わりに返済することになる。

 もはやクズとも呼びたいレベルだが、彼にはそこまでしてやりたいと思わせる才能に加え、そこまでされてもなぜか憎めない人柄があったという。それは彼の研究バカともいうべき一途な無邪気さから来ていたのだろう。友人の医師には、こんな切迫した思いも吐露した。

「なあ、学問というのは一種の投機だよ。いくら頑張っても実らないこともある。もし自分が当たらなかったら鉄道自殺するかもしれないなあ」

 いわばギャンブルのような学問に、彼は多くの勝利を得たものの、最後に負けてしまう。西アフリカで黄熱病の研究中、自らも感染して51歳で死亡。4ヶ月前に黄熱病のような症状を発して回復し、免疫ができたと思っていたが、それはどうやら別の病だった。最期の言葉は「(自分が大丈夫かどうか)私には分からない」という、医学者としては敗北宣言というべきものだ。ただ、その最期はとことん戦い抜いたうえでの医学的な「戦死」でもある。

 それから4分の3世紀ほどして、彼は「千円札の顔」となった。令和6(2024)年からは同じ医学者の北里柴三郎に代わるが、彼は若い頃、北里の研究所に勤めたことがある。とはいえ、野口の場合は死んでお札の顔になるより、生きているあいだにもっと研究に(さらには遊興にも)使いたかっただろう。なんにせよ、これほど人間くさい「偉人」も珍しい。

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宝泉 薫

ほうせん かおる

1964年生まれ。主にテレビ・音楽、ダイエット・メンタルヘルスについて執筆。1995年に『ドキュメント摂食障害―明日の私を見つめて』(時事通信社・加藤秀樹名義)を出版する。2016年には『痩せ姫 生きづらさの果てに』(KKベストセラーズ)が話題に。近刊に『あのアイドルがなぜヌードに』(文春ムック)『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、最新刊に『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)がある。ツイッターは、@fuji507で更新中。 


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