緩やかに沈んでいく「茶どころ日本一」の静岡 勇気をくれるのは、いつも植物たち。【植物採集家の七日間】
「世界のどこかに咲く植物を、あなたの隣に。」連載第4回
ここではないどこかに行きたい。自分ではない誰かになりたい。
憧れや夢という非現実を見ることは、不思議と現実を強く生きる力を与えてくれるものです。
旅で出会った植物と人間の叡智をお届けします。
連載第4回は、「日本のお茶」に秘められたエネルギーと可能性に迫ります。
第4回
緩やかに沈んでいく「茶どころ日本一」の静岡 勇気をくれるのは、いつも植物たち。
– Make Use of the Forces of Nature ‒
■茶の都静岡は、緩やかに沈んでいく。
先日あるネットニュースが話題になった。「茶どころ日本一、揺らぐ静岡」という内容だった。長年首位を守ってきた静岡県のお茶の生産量が、鹿児島県に追い抜かれる見込みだという。ネガティブな見出しのためか、SNSでも意見交換が活発だ。官民一体で効率的な栽培や、儲かる仕組み・戦略を取る鹿児島に追い抜かれる目前となっているのだ。
私が静岡県出身だからお茶を身近に感じるのだと理解しているが、今回は何をもって「一番の産地」を名乗るのか、農業の機械化や後継者問題など、幅広い層に刺激を与えたニュースだった。
私は水代わりに緑茶をガブガブ飲んで育った。自分の常識が非常識だと気がついたのは、働き出した時だった。同席した会議で出されたお茶が美味しくない。一度だけではない。5回に1回しか飲み切れるような味でなかった。急須が家庭から姿を消し、ティーバックが普及する現代。丁寧な暮らしを提唱する企業でも、美味しいお茶の入れ方を知っている人は2割程度だった。
お茶をゆったり味わうような丁寧な暮らしをしたい人は沢山いる。けれど、実際にお茶の入れ方を学ぶこと。丁寧にお茶を入れる生活を実践するのは、たやすくはない。当時はぼんやりと、「自分の興味がある事を実践できる人は2割程度しかいない。願望と実態には乖離があるのだな…」と感じていた。
決定的な味の違いを作っているのは、おそらく茶葉の量。私が入れている茶葉の半分程度しか使っていないことを知った。それでも出されたお茶に対して「美味しくない」と指摘する人は誰もいなくて、いよいよまずいなと思った。美味しいお茶を飲む機会が少ないから、お茶の美味しさを判断できない。忙しい毎日に、お茶の味なんて気にする余裕がないのも事実なのだ。
美味しいと感じる事がなく、入れるのも面倒で片付けるのも面倒。「お茶はますます衰退していくな。」と、残念な気持ちになりつつ、私の思いもまた忙しさの中に消えていった。