武田家の旧臣だった?「外川」一族発祥の地について
外川淳の「城の搦め手」第55回
私の姓である外川(とがわ)の発祥の地は甲斐国都留郡船津村であり、現在の行政名では山梨県富士河口湖町にあたる。河口湖畔の禅寺が外川一族の菩提寺のようであり、私が生誕する20年以上前に都内で病没した祖父の墓もその寺にある。
子どものころ、墓参に行くと、花屋や民宿など町中自分と同じ姓だらけであることに対し、不思議な感覚になったことを今でも覚えている。
先祖発祥の地に外川一族は、武田の旧臣らしく、家紋は下り藤という。下り藤ということは、源平藤橘のなかでは、藤原ということになるのだろう。その割には、武田信玄を執筆する機会があっても、テンションが上がることなく、どちらかというと、家族に犠牲を強いるタイプであったことから、好みではない戦国武将として認識している。
塩山市内の温泉銭湯の入浴のため、下車したついでに撮影。信玄ではないとされる肖像画を元に作成される。「歴史アナリスト」を名乗るからには、一般的な日本人よりも、家系や家紋には興味はある。ただし、自慢するほどの家系でもなく、祖父の代に分家し、3代目の私で無嗣断絶となりそうなこともあり、自身の家紋や家系について語るのは、これが最後の機会になるだろう。とはいえ、家紋や家系を祖父母から聞き、そして子や孫に伝えることは大切なこととも思う。