人類史上最も敵機を撃墜したドイツ軍エースと、傑作戦闘機「Bf109」
メッサーシュミットBf109~多くのエースを生んだルフトヴァッフェが誇る傑作戦闘機~ 第4回
Bf109を愛したエースたち
1939年に初飛行した零戦に比べて4年も先に初飛行をはたし、戦後も1960年代初頭まで第一線で用いられていたBf109(の系列機)は、まさに傑作機と称するに相応しい機体である。
しかし一方で、ヒット・エンド・アウェー式の空戦術とも相まって、癖のある機体とも評されている。だがその癖を巧みに利点へと置き換えられる者をエースへと導き、結果、多数のエースを輩出した機体ともなった。
例えば「アフリカの星」の愛称で知られたエース、ハンス・ヨアヒム・ヴァルター・ルドルフ・ジークフリート・マルセイユは偏差射撃の名手で、乗機Bf109G2/Tropの故障による非業の事故死を遂げるまで、その生涯を通じて158機を撃墜しているが、全機ともBf109による撃墜である。
アドルフ・ヨーゼフ・フェルディナント・ガーランドは、撃墜機数こそ104機と少なめながらバトル・オブ・ブリテンで活躍。以降、戦闘機隊総監を務めたり、大戦末期にはエースを集めたジェット戦闘機隊JV44を率いたりした「ルフトヴァッフェの顔」で、葉巻好きだったため愛機のBf109には専用の灰皿が備え付けられていたという。また、Bf109の後方視界の悪さを改善するため、パイロットの背後の防弾装甲板を積層防弾ガラスに変更したが、この防弾ガラスは彼の名前を冠して「ガーランド・パンツァー」の愛称で呼ばれた。
第二次大戦において、ルフトヴァッフェは「二人のスーパーマン」を産み出した。人類史上、300機以上の敵機を撃墜したエースはこの二人以外に存在せず、今後も出現しないだろうとの実情に基づいて、洒落たジョークでは「オーバー300クラブの二人だけの会員」とも呼ばれる。
そのうちの一人が、352機撃墜の世界第1位のエース、エーリヒ・アルフレート・ハルトマンで、童顔だったため同僚からは“ブービ(「坊や」の意)”の綽名で呼ばれたが、愛機Bf109の機首を黒のダンダラに塗装していたため、敵のソ連軍からは「ウクライナの黒いチューリップ」として恐れられた。
もう一人は301機撃墜の世界第2位のエース、ゲルハルト・バルクホルンで、彼の愛機もまたBf109であった。
メッサーシュミットBf109。
ルフトヴァッフェが生んだ「蒼空を駆けるメッサー」は、かくてワルキューレとともにゲルマニアの興亡の空を舞ったのである。