現役を続けながらサッカーの「言葉」を伝える。岩政大樹の今
サッカーに必要な言葉力「岩政大樹の現役目線」
■伝えるために必要な言葉が「乖離」にもなりうる
サッカーにおいても、「攻撃的⇄守備的」「ゾーンマーク⇄マンマーク」「ラインが高い⇄低い」「ポゼッション⇄カウンター」「ハイプレス⇄リトリート」など、たくさんの区分が言葉によってなされています。
しかし、それらも結局、ピッチレベルにおいてはそのどちらかだけであることなど決してなく、すべては選手たちの判断の結果として見えているものを区分しようとしているに過ぎません。僕らにあるのは、いつ、どこで、何を、どのようにプレーすべきかという認知と判断の繰り返しだけで、それによって起こる現象はひとまとめに語れるものでは当然ありません。
それを、見ている人に分かりやすく伝えるために「言葉」が必要となり、その役割を果たしてくれるのですが、一方で「言葉」を断定的に使われてしまうとピッチレベルで起こっていることとは乖離が起こってくるように感じます。
そんなことを『PITCH LEVEL』で書きました。
僕は人生の正解やサッカーの正解など知りません。当然です。そんなものは存在しないのですから。だから、僕はただ単に「僕自身はこう考えていました」ということをできるだけ飾らずに書こうと心がけていました。この本を通して、ピッチレベルのリアルを少しでも感じていただき、いろんな選手やいろんな試合をまた新たな視点で想像していただけたら嬉しいです。
本を一冊書き上げたことは大きな自信になりました。
僕にはサッカー選手としての自信がありませんでした。それはもうトラウマのように僕の奥深くに住み着いていて、今も決して離れてくれません。
もちろん、選手としても僕なりに、世界の頂点とは言わないまでも、日本のトップレベルは目指しました。しかし、鹿島で過ごした晩年には選手としてだけでは人との違いをつくれないと悟った僕は、自分にしかできないものを探していました。
それは怖さに似ていました。
選手としては他の人と違うものが何もない。だから、選手であるうちに一つでも形に残るものをやらなくては。その中の一つが「書く」ことだったわけですが、今やっと僕は自分を肯定してあげられる気持ちが出てきています。
36歳。手探りの中で「自分らしさ」みたいなものを定義しながら、定義し過ぎないようにしてきました。こんなことも全てバランスなんだというのが『PITCH LEVEL』でも頻繁に書くことになった僕のベースになっています。僕はこの本のおかげでやっと、言葉ではなく感覚で「自分らしくいる」感覚をもつことができるようになりました。
「『PITCH LEVEL』は分身」
出版のときにこうブログに書きました。この本は僕に寄り添うようにそばに居てくれている存在になりました。書くことで見えてきた自分。それを読み返すことで見えてきたもの。
書いて良かったです。本当に。読んでくださってありがとうございました。
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