ジョーダンが「罰金を払っても」履きたかったのは?【エアジョーダン秘史(11)】
1985年の1stモデルから今なお続くレジェンドバッシュのヒストリー。
第11回は、1995年発売の「AIR JORDAN 11」。
AJ10を履いてNBAに復帰したMJだったが、開発にほとんどタッチしていないこのモデルは、彼好みとは言えなかった。そこで、再びハットフィールドと入念なミーティングを行って開発したのが、AJ11だ。これを履いて彼は72勝という偉大な記録を打ち立てる。
MJが再び本腰を入れて開発
エナメル仕様のアッパーも話題に
MJが罰金を払ってでも履きたかったモデル
AJ11を開発するにあたり、MJ(マイケル・ジョーダン)はティンカー・ハットフィールドに「光る素材を使って欲しい」というリクエストを出した。これを元にハットフィールドは、まず光るボディーに布のトップを持つオープンカーのイメージスケッチを描いてみたという。そして、最終的には光る素材としてエナメルレザーが選ばれ、それにメッシュのアッパーを組み合わせるAJ11のスタイルが出来上がった。
MJは'95年のプレーオフにグレーのAJ10を履いて出場したが、幅広デザインのこのシューズは彼のプレースタイルには合わなかったらしく、早く自分に合ったモデル=AJ11を履きたいと思っていたようだ。そして、オーランド・マジックとのカンファレンス・セミファイナル第1戦で、MJは完成間もないAJ11を履いてコートに立つ。しかし、この時にMJが履いたのは白ベースのモデルだった。「選手は全員同じ色のシューズを履かなくてはならない」というNBAのルールに違反していたため、MJには罰金が科せられることとなった。もっとも、その後すぐに黒ベースのAJ11も作られたため、(AJ1のときにように)何戦も罰金を払い続けながら履くというようなことはなかったが…。
MJが復帰し、しかもニューモデルはエナメルを使った斬新なものであったため、AJ11は日本でも大ブレイク。当時のスニーカーブームでは、エアマックス95と並ぶ2大人気騎手となった。
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