文豪が書いた名作、冒頭文を知っていますか? その名人技の数々
『一個人』2018年4月号 取材こぼれ話①
◆時代を超えて読まれる小説は「冒頭の文章」が素晴らしい
発売中の『一個人』4月号で「名作の生まれた宿で文豪の素顔に迫る。」という記事を担当した。9人の文豪に関する原稿を書くにあたって、久しぶりに近代文学・現代文学の小説を駆け足で読んでみた。読後に改めて思ったのは、小説は出だしの文章が大事だということである。
冒頭の文章といえば、私にとっては古典文学だ。『枕草子』の「春はあけぼの…」、『平家物語』の「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり…」、そのほかにも『徒然草』、『方丈記』、『奥の細道』など、学生時代は古典文学の冒頭の文章を暗記したものである。
中でも好きだったのは『源氏物語』。「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが…」である。現代人からすると難解にして早口言葉のようで、声に出して読むのが快感だった。『土佐日記』の「男もすなる日記といふものを 女もしてみむとてするなり」は、現代文を書くときにも応用できる、文章家必携の名文だ。海外に目を転じれば、ウィリアム・アイリッシュ『幻の女』の出だしも忘れがたい。
いずれにしても名作と呼ばれ時代を超えて残った小説は、冒頭の文章が素晴らしい。それは、近代以降の小説にも当てはまる。今回の記事では、島崎藤村のページで、『夜明け前』の「木曽路はすべて山の中である。」という文章を記事の最初に引用した。記事では取り上げなかったが、他の作家の小説にも名文がある。川端康成なら『雪国』の「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。」、あるいは太宰治なら『人間失格』の第一の手記。「恥の多い生涯を送って来ました。」。たった一つの文章で読んだ者に深い感銘を与える。まさに名人技である。
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