バブル崩壊からデフレ不況、そしてコロナ禍の日本のゆくえ【中野剛志×黒野伸一 対談:第1回】
この国はどうなる!? ポストコロナとMMT
長期デフレで経済が衰退しているところで襲ってきたコロナ禍の日本。この国はこのまま崩壊してしまうのではないか? どうすればこの国は立ち直れるのか? そんな強い危機意識と微かな希望を抱き、最新刊の小説『あした、この国は崩壊する ポストコロナとMMT』(ライブ・パブリッシング)が発売直前の小説家・黒野伸一氏。この小説執筆の構想に触発を与え続けたともいわれる『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室』(KKベストセラーズ)を著した評論家・中野剛志氏と、「日本経済崩壊の本当の理由と、この国のゆくえ」について熱く語りあう初対談。第1回を公開。
黒野:今、2021年ですが、バブルが崩壊したと言われているのが1992年。その年から起算すると、ほぼ30年近くバブル崩壊の後を引きづっている。私は今61歳なんですが、30年前くらいは20代後半から30代後半くらいの若手社員で、バリバリ仕事をしていたわけです。その時のバブルの経験があるので、こういう総括みたいな小説『あした、この国は崩壊する ポストコロナとMMT』(ライブ・パブリッシング刊)を書いてみたいと思ったわけです。特に今、若い読者の方なんかはバブルを知らない。なので、バブルを経験していた人間がどんなことをやっていたのかと。
中野:今の人はデフレしか知らないですからね。大人の責任重大ですよ。こんな国、世界にないですから。私は1996年に就職しましたけど、名目GDPはその時と今とほぼ同じです。
黒野:私は20代の頃、某銀行系の投資会社にいたんですが、もろバブルでした。
中野:イケイケじゃないですか(笑)。
黒野:不動産、株。資産バブルといって、主に資産に投資して金持ちはどんどん大金持ちになる。当時は一般の庶民も結構、小金をもっていた。給料はそんなに上がらなかったけど、ボーナスがどんと上がったりする。だから若い人間でも高級ホテルに泊まれたし、ローンを組めば高級外車も買えた。大学を卒業してしばらくしたら、ローンを組んで郊外だけど一戸建ての家も買っていた。豊かといえば豊かだった。
中野:その頃、公務員は安月給だった(笑)。
黒野:1985年にプラザ合意があって、G5でアメリカの双子の赤字、貿易赤字と財政赤字の解消のために円高ドル安路線になり、その反動で金融緩和したんですよね。
中野:そうです。
黒野:今も金融緩和しているけど、当時は先行き不安なんてまったくなかったわけです。金が余ったら投資するしかないじゃないかという。一番投資しやすいのが不動産だった。その不動産投資の真っただ中に私はいたわけです。ところが、20代後半くらいだったので、自分の裁量では投資とかさせてもらえないわけです。当時の投資規模といえば、100億、200億、1000億なんていうのもあった。それを動かしていたのは実質、40代以上の課長クラスです。
中野:なるほど。