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中欧を縦断する国際列車の旅 (前編)

思い出のヨーロッパの鉄道紀行

ベルリン中央駅に到着したヴィンドボナ号

 かつて「鉄のカーテン」の向こう側を走る幻の国際列車があった。「ヴィンドボナ号」というオーストリアの首都ウィーンの古いラテン語名を愛称としたディーゼル特急で、その名の通りベルリンからプラハを経由してウィーンへ向かう列車だった。簡単に行ける場所ではなかったので、鉄道雑誌や書籍でその名を知るだけだった。

 時は流れ、ベルリンの壁崩壊、ソビエト連邦崩壊と歴史的事件が続き、いわゆる旧共産圏への旅も自由になった。私も20世紀末に、チェコに行きたくなり、ベルリンやドレスデンを経由してプラハへ向かった。その時、ユーロシティ「ヴィンドボナ号」という列車に出会い、書物でしか知らなかった幻の列車に乗ることになったのだ。

ヴィンドボナ号の行き先表示板

 私が乗った「ヴィンドボナ号」はディーゼル特急ではなく、電気機関車が牽引する国際列車に代わっていた。首都ベルリンの中央駅は2006年5月に新装オープンしたのだが、その近代的な構内の地下ホームから「ヴィンドボナ号」は発車した。当時、列車の始発はハンブルク・アルトナ駅、ベルリン中央駅は途中駅だったので、座れるかどうか気になっていたのだが車内は空いていた。ゆえに1等車のコンパートメント(6人用個室)の窓側にゆったりと座ることができたのである。

コンパートメント(6人用個室)内部

 ベルリンのシェ―ネフェルト空港の最寄り駅に停まったあとは、大きな都市がないので、ドレスデンまで1時間ほどノンストップだ。北海道を思い出すような広々とした平原を駆け抜け、ある時は森の中を進む。人家のほとんどない荒野だったり、麦畑や牧場が車窓をかすめる。頻繁に通っていれば単調な風景であろうが、私にとっては物珍しい雄大な車窓に思えた。

ベルリン~ドレスデン間の車窓

 かくしてドレスデン・ノイシュタット駅に到着。訳せばドレスデン新町駅であろうか。中央駅で降りることになっているので慌てない。意外に閑散とした駅で、乗り降りはあまりなかったようだ。ドレスデン都市圏を走る赤い近郊列車の姿も見える。2分ほど停車した後に発車。列車はエルベ河を渡る。満々と水を湛えた大河の向こうに聖母教会をはじめとしたいくつもの教会や聖堂、ツヴィンガー宮殿などの歴史的建造物が並んでいる。「ようこそドレスデンへ」と歓迎してくれているようだ。

ドレスデン市内でエルベ河を渡る

 市内の小さな駅をいくつか通過したあとドレスデン中央駅へ。行き止まりの地平ホームをはさむように高架の通過できるホームがあり、上野駅に似た構造だ。ドレスデンが終点ではないので、ヴィンドボナ号は高架ホームに到着する。

ドレスデン中央駅で乗務員交代

 停車時間は13分。ここで先頭の電気機関車を付け替える。列車は、まだ30分以上ドイツ国内を走るのだが、大きな都市はもうないので、ドレスデンからはチェコの電気機関車が牽引する。早々とチェコの鉄道旅が始まるのだ。DB(ドイツ鉄道)に代わってCD(ただし、Cの字の上に見慣れない記号が付いている)と表記された武骨な機関車が現れた。デザインよりも実用性を重んじた旧共産圏らしい車両である。客車の前ではドイツ鉄道の職員からチェコの鉄道員への引き継ぎも行われている。

ドレスデン中央駅からはチェコの電気機関車が牽引

 ドレスデンを出てしばらくすると、エルベ河に沿って走る。ライン河と双璧をなすドイツ鉄道の川沿いの絶景区間だ。「ザクセンのスイス」とも呼ばれる景勝地でもある。バート・シャンダウに停まると、いよいよ国境を越えてチェコに入る。時間的には、このあたりで食堂車に移動して、ビールのジョッキを傾けながらランチにするのがおススメだ。ドイツのビールもいいけれど、せっかくなのでチェコのビールを注文したい。

エルベ河に沿ってチェコに向かう

閑散とした食堂車

 エルベ河の支流であるヴルタヴァ川、ドイツ語名モルダウが寄り添うようになると、ネラホゼヴェスという小さな村を通過する。ネラホゼヴェスと名が付く駅は2つあるけれど、プラハ寄りの小さな無人駅の前には、チェコを代表する作曲家ドヴォルザークの生家がある。交響曲第9番「新世界から」や「ユーモレスク」で知られているが、実は熱心な鉄道ファンであった。まだ、カメラが普及していない時代、彼は毎日のように駅に発着する機関車の番号をメモするのが楽しみだったという。プラハ滞在中に、列車を使ってこの地を訪れたことを思い出す。

ネラホゼヴェスの小駅を通過するヴィンドボナ号

ドヴォルザークの生家

 東京のように近郊区間に入ると俄然賑やかになることもなく、いつの間にかプラハ市内に入っていた。私が乗った頃は、プラハ本駅(中央駅)に立ち寄ることはなく、ヴィンドボナ号は、町はずれにあるプラハ・ホレショヴィッツェ駅に停車していた。新横浜駅や新大阪駅のように街の中心部とははずれた位置にある駅だ。なのでプラハの中心部へは地下鉄に乗りかえて向かうことになる。ホームに降り立つと、駅の案内は、チェコ語、ロシア語、ドイツ語のみで英語がなかったのに驚いた。まだまだ共産圏時代の名残があったのだ。知人の話では、今は案内表記も一新されているとのことである。

プラハ・ホレショヴィツェ駅に到着

出口の案内はチェコ語、ロシア語、ドイツ語の3か国語

 素通りするのはもったいないので、プラハで下車し、しばし滞在した。(続く)

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野田 隆

のだ たかし

1952年名古屋生まれ。日本旅行作家協会理事。早稲田大学大学院修了。 蒸気機関車D51を見て育った生まれつきの鉄道ファン。国内はもとよりヨーロッパの鉄道の旅に関する著書多数。近著に『ニッポンの「ざんねん」な鉄道』『シニア鉄道旅のすすめ』など。 ホームページ http://homepage3.nifty.com/nodatch/

 

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