作家・鈴木涼美が語る「師・福田和也のまなざしと本音」
初選集『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』刊行に寄せて
文芸評論家で保守派の論客としても知られた慶應義塾大学名誉教授・福田和也さんが20日、急性呼吸不全で急死した。63歳だった。愛弟子でもある作家・鈴木涼美さんの福田和也評を再配信する。
慶應義塾大学福田ゼミ出身者は多彩な人材を輩出している。例えば、歌手・一青窈、批評家・酒井信、文芸評論家・大澤信亮、作家・佐藤和歌子などなど、いま出版界で活躍している編集者や作家、ライターは数えきれない。なかでも、異色の作家としてつねに話題を呼んでいるのが鈴木涼美だ。世相や男女・人間関係を独自の視点と文体で表現するコラムやエッセイを著し、同世代の女性読者はもちろん男性読者の人気も高い。
そんな彼女が、師の初選集『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』(KKベストセラーズ)の刊行に寄せて、「師・福田和也の本音」について語る。師のまなざしと弟子のまなざしが不意に絡み合い、一瞬重なりあってまた離れる。その瞬間はなんて儚くエロティックなのだろう。「師をもつこと」の大切さとともに、「師をもてること」の僥倖をあらためて感じさせるものがある。
■固有名詞と愛の波
ポップス歌手や映画監督に薬物や淫行のスキャンダルがあるたびに、二元論が好きな我々はつい、作品と作者は分離した別個のものと言えるか否か、作者に罪があるときに作品にも罪があるのか否かという議論を始めたがる。
作品は作者によって生み出されるのだから愚かな行いをした作者による作品はテレビ放映するべきではないとする態度がある一方で、作品は世に放たれたときに大衆のものになるので作者が愚かであっても不当に扱われるべきではないという立場もある。
ただ、前者の視点で不祥事のあった俳優の出演シーンがカットされたTVドラマのコマーシャルに、ビートルズの曲が使われていたり、作り手が死ねば心置きなく作品が受け入れられたりもするので、態度自体も極めて怪しいものではあるけど。
さて、福田和也は作者と作品を切り離すことなどもちろんしない。むしろ現代人が忘れていたりそもそも知らなかったりする作家の細かい内情も愚行もがっしり掴んで原稿に叩きつける。
彼が教える若い学生の1人であった私や学友たちは若いなりの正義感と「先生」なるものへの反骨精神で、「作家の値うち」なんていうタイトルや行為はいかにも下品であると言ってみたくなるものだった。
それで、作者の人生や日常を全く承知しなくとも、作品だけで成立する批評こそ我々が挑むべき課題なのだ、と、単に自分らの無知を露呈するだけの作業に熱中することもあった。
でも結局、その「先生」の、作品を含めた作者、或いは作者を含めた作品への怒涛のような愛には太刀打ちできないのである。
作品を作者から独立したものであるなんて生易しいことを言わないこの文芸評論家は、しかし当然、作者が愚かであるから作品を愛すべきではないなんていう簡単なところに行くわけはない。作者の愚かさや恥部を間近で全て見届け、それらを全て愛した上で、あらゆる角度から作品を受け止めようとする。愚かだけど愛するのではなく、愚かだから愛している。そして作品と対峙し、作品を愛する上で、その愚かさとも対峙して愛することが必要だとも思っている。
だから福田和也の本を通して文芸を読む読者たちは、愚かだから愛さないという簡単な態度も、愚かな部分には目を瞑るという優しい態度も捨てざるを得ないわけで、結構荒々しい読書を強いられることになる。
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✴︎KKベストセラーズ 好評既刊✴︎
『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』
国家、社会、組織、自分の将来に不安を感じているあなたへーーー
学び闘い抜く人間の「叡智」がここにある。
文藝評論家・福田和也の名エッセイ・批評を初選集
◆第一部「なぜ本を読むのか」
◆第二部「批評とは何か」
◆第三部「乱世を生きる」
総頁832頁の【完全保存版】
◎中瀬ゆかり氏 (新潮社出版部部長)
「刃物のような批評眼、圧死するほどの知の埋蔵量。
彼の登場は文壇的“事件"であり、圧倒的“天才"かつ“天災"であった。
これほどの『知の怪物』に伴走できたことは編集者人生の誉れである。」