永井荷風を半年で57回も通わせた、割り下の染みるどじょうが食べられる店
「文豪たちが愛した、あの料理」飲食店編①
文豪が味や店に惚れ込み、足しげく通った老舗が現存する。当時と変わらぬ料理を堪能することで、作家が身近に感じられるのではないだろうか。
今回取り上げるのは、永井荷風が通った「どぜう飯田屋」。
今回取り上げるのは、永井荷風が通った「どぜう飯田屋」。
同じ席で同じメニューを食した永井荷風
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永井荷風が必ず注文した柳川鍋(1850円)とぬた、お銚子1本。熱々で出される柳川鍋は、冷めないうちにいただくのが、もっともどじょうを 美味しく食べる秘訣。
耽美派の作家として知られる永井荷風が、浅草の「どぜう飯田屋」に通ったのは73歳のとき。彼の日記である『断腸亭日乗』には、7月4日から始まって半年の間、実に57回も通ったと記されている。
「店に来ると、注文するものは決まっていました。柳川鍋とぬた、そしてお銚子1本だったと祖母から聞いています」と話すのは五代目若旦那の飯田唯之さん。明治の創業以来、その味は変わっていないという。当時の73歳といえばかなり高齢なはずだが、飯田屋の柳川鍋は毎日のように食べられる、割り下の味かげんも絶妙な逸品だ。
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来店時には必ず選んだお座敷席。ロック座の踊り子たちを連れてきて食べさせることもあった。
また、荷風が柳川鍋といっしょに必ず頼んだ「ぬた」も、秘伝の味噌で和えたまろやかな味わい。飯田屋の女将にのみ受け継がれてきた味は、他店では決して真似のできない柔らかい仕上がりとなっている。家族のような付き合いだったという飯田屋は、荷風にとっての別宅であったのかもしれない。
〈雑誌『一個人』2018年4月号より構成〉