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上杉景勝の築城ラッシュ

季節と時節でつづる戦国おりおり第467回

 今から421年前の慶長5年2月2日(現在の暦で1600年3月16日、陸奥国会津120万石の上杉景勝が、家臣に対し仙道筋の城砦修築工事を急ぐよう指示しました。
「普請作事去年申し候通り、きっと成就専一に候。仙道筋城々普請、春夏の間に極め候てその地普請申しつくべし」。

今でいえば福島県の中通りにあたる「仙道筋」の軍事施設の設営について、早急な計画策定の下に工事に取りかかるようというのです。

その位置関係でわかるように、これは出羽の最上義光を睨んだ拠点確保で、出羽侵攻に備えてのものでした。

豊臣秀吉の死で戦国割拠の世が戻ると考えた景勝は、その混乱の中で出羽を奪い、一気に旧領の越後までを回復して一大勢力の座を確保して覇を争おうと考えたのでしょう。

さらに3月18日には会津城北西の神指にも大城郭の築城が開始されました。

神指城跡

この頃上方では徳川家康が大坂城西ノ丸に天守閣を築きはじめていましたが、越後の堀秀政から景勝が神指築城・浪人召募・籠城準備と不穏な動きをしているとの報告が届けられ、この一連の動きが秀吉の「城割令」に反すると家康はまず事実確認の使者を送りましたが、これに対する返答が有名な「直江状」です。

家康は景勝の家宰・直江兼続の挑発を逆に利用して5月3日に上杉征伐を宣言させ、関ヶ原合戦につながる会津遠征の軍を発向させるのでした。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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