ナチス・ドイツの同盟国だったソ連
6年の間にころころと立場を変えたソ連 シリーズ!日本人のためのインテリジェンス・ヒストリー③
満洲事変、シナ事変と中国大陸を巡って日米両国が対立し、ついに日米戦争に発展してしまった――。こういった歴史観には致命的な欠陥がある。日米開戦を引き金を引いたのはソ連だ。江崎 道朗氏の著書『日本は誰と戦ったのか』からホワイトの覚書をひもとく。
■ソ連の方針に忠実だったホワイトの覚書
一九四一年五月、ホワイトが作成したのが、次のような覚書です。
当時、ホワイトを重用していたモーゲンソー財務長官は、ルーズヴェルト大統領から信頼されており、外交政策にも積極的に介入していました。ホワイトはこの覚書をモーゲンソー長官に渡し、日米交渉に使うことを意図していました。
覚書の原文はジョン・コスターの『雪作戦(Operation Snow)』からの引用で、翻訳は引用者の私訳です。
『雪作戦』は記述の正確さや出典の示し方、史料の選び方に問題がある本で、広田弘毅【ひろたこうき】の史料として城山三郎の小説『落日燃ゆ』の英訳本を使っていたりするので注意が必要ですが、このホワイトの一九四一年五月の覚書と大統領宛メモの文案はプリンストン大学マッド図書館所蔵の複写写真を用いたとのことです(p.220)。本来ならばコスターからの孫引きではなくマッド図書館の原典にあたるべきですがご了承ください。
〈モーゲンソー財務長官宛覚書〉
H・D・ホワイト
一九四一年五月
Ⅰ.我が国の外務省が見習った英仏流の外交は無残に失敗したと思われる。
我が国の国務省及び英仏の外交当局の姑息な手段、誤算、小心さ、陰謀、あるいは無能によって、今や我々は孤立しつつあり、目下の状況では、大変な費用と奮闘を要し、戦後も極めて危険な状況を惹起【じゃっき】することなくしては勝利し得ない戦争に向かって、急速に追い込まれつつある。
勝ち誇ったドイツ(および同盟国の日伊と、彼らに兵站【へいたん】を提供する全ヨーロッパ)に対し、ひとり我々のみが何年も戦うこととなる戦争の帰趨【きすう】について楽観論を持つ必要はあるとしても、その楽観論で我々が直面する務めの困難さをごまかしたり、まだ時間が残っているのに我々の立場を強める抜本的な手段を取り損なったりするのは致命的であろう。(『雪作戦(Operation Snow)』p.41)
H・D・ホワイト
一九四一年五月
Ⅰ.我が国の外務省が見習った英仏流の外交は無残に失敗したと思われる。
我が国の国務省及び英仏の外交当局の姑息な手段、誤算、小心さ、陰謀、あるいは無能によって、今や我々は孤立しつつあり、目下の状況では、大変な費用と奮闘を要し、戦後も極めて危険な状況を惹起【じゃっき】することなくしては勝利し得ない戦争に向かって、急速に追い込まれつつある。
勝ち誇ったドイツ(および同盟国の日伊と、彼らに兵站【へいたん】を提供する全ヨーロッパ)に対し、ひとり我々のみが何年も戦うこととなる戦争の帰趨【きすう】について楽観論を持つ必要はあるとしても、その楽観論で我々が直面する務めの困難さをごまかしたり、まだ時間が残っているのに我々の立場を強める抜本的な手段を取り損なったりするのは致命的であろう。(『雪作戦(Operation Snow)』p.41)
一九三九年のドイツによるポーランド占領を契機に、英仏両国がドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦が始まりました。ソ連はその直後、ポーランドに進駐してドイツと一緒にポーランド領土を山分けにしています。
ソ連は、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線を戦い始めたドイツとの間で、独ソ戦が始まる一九四一年六月二十二日までは不可侵条約を結んでいました。
一九三九年八月二十三日、独ソ不可侵条約を締結する前までは、スターリンは「最もドイツのナチズムに反対しているのは我々だ」と宣伝していたのですが、条約締結後は手のひらを返し、「ドイツとソ連は平和を守ろうとしているのに、英仏が帝国主義戦争を起こして世界平和を脅かしている」と、立場を百八十度変えたのです。
わかりやすく、説明しましょう。
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