ポリコレ・ヒステリーは「社会の進歩に伴う問題」かもしれない【藤森かよこ】
単なる偏狭な言葉狩りにしないためにソーシャルメディアの改革が必要
■ポリコレ疲れ
このアメリカの初期ポリコレ運動に対する反動もあった。「ポリティカル・コレクトネス疲れ」(Political Correctness Fatigue)なる空気が生まれた。
だから、ポリコレ問題を風刺するようなテレビ番組Politically Incorrect Nightなるトークショウまで放映(1993-2002)され人気を博した。
2001年には、差別ネタ満載のミュージカルThe Producersがブロードウェイで上演され、その年のトニー賞を受賞した。このミュージカルを私は2回見たが、どちらも上演終了後に観客は総立ちし盛大な拍手をしながら喝采をあげていた。
このミュージカルは1968年に映画化されたものの舞台化だったが、動物虐待に、女性差別、ユダヤ人差別、ドイツ人(ナチス)差別、アイルランド系差別に、老人差別、同性愛者差別などがこってり満載だった。2005年にあらためて映画化されたが、あのブロードウェイの舞台版の毒気は抜けているように見える。
しかし、このミュージカルが今のブロードウェイで再演されることはないだろう。ポリコレ運動は、今や単なる差別用語是正運動を通り越して、BLM(Black Lives Matter)運動の例にも見るような、暴力を伴う激しい抗議運動になっているのだから。
同じ黒人でも上流階級化や中産階級化した黒人たちは、BLM運動に恐怖を抱く。アメリカ社会に人種の対立が激しくなることを危惧している。
しかし、上流階級化や中産階級化した黒人層は、「差別されたくないなら、努力して勉強し、働き、法を守り、社会に迷惑をかけず、貢献すべきだ」などと本音を言わない。恵まれない黒人たちの怒りを買えば、自宅に放火されるかもしれないのだから。黒人たちの社会内部も階級に分断されている。
こうして、差別の問題は、公に出すにはより危険になり、語られないままになる。差別を糾弾し、差別のない理想社会の早急の実現を声高に言い募る人々の過激さに眉をしかめつつ、彼らや彼女たちと関わらないようにするのが身の安全だと考える人々が増える。人々は信頼できる仲間内にしか、その気持ちを打ち明けない。差別問題の真実は、こうしてもっと地下に潜る。
親は子どもに本音は言えない。子どもや若い人々は、社会の現実を知らないので、メディアや教育機関が唱える理想に水を差すような言動は親のそれといえども軽蔑し非難する。
同じく夫婦は配偶者に本音を言えない。夫婦にだって政治的見解の対立はある。政治的立場の違いがこじれて離婚に至る事例もある。
まさに、今のアメリカ合衆国で起きている差別是正運動は、21世紀の「文化大革命」だ。中国のかつての文化大革命は不毛なものに終わったが、アメリカではどうなるのだろう。