ポリコレ・ヒステリーは「社会の進歩に伴う問題」かもしれない【藤森かよこ】
単なる偏狭な言葉狩りにしないためにソーシャルメディアの改革が必要
■アメリカの「i世代」のポリコレ過敏症
アメリカでは反ポリコレ的学説(人種間の知能格差を肯定したり、環境の影響より生物学的差異の大きさを指摘したりなど)を唱える学者が、所属学会から除名されそうになる。反ポリコレ的見解を披露した大学教授などの講演が学生の抗議運動によりキャンセルされたりする。
この状況について、日本語で評論活動しているアメリカ人のベンジャミン・クリッツアー(Benjamin Kritzer:1989-)が「現代ビジネスオンライン」(gendai.ismeda.jp)において紹介している。
◆「世界的知性」スティーブン・ピンカーが、米国「リベラル」から嫌われる理由「学会除名騒動」の背景」2020年8月16日
◆「一つの「失言」で発言の場を奪われる…「キャンセルカルチャー」の危うい実態 「ピンカー除名騒動」の背景」2020年8月18日
スティーブン・ピンカー(Steven Arthur Pinker, 1954-)とは、アメリカ合衆国の実験心理学者、認知心理学者である。「人は、個々の長所や資質で評価されるべきであって、人種は極力無視されるべきです。つまりキング牧師の主張と同じで、人はその肌の色ではなく、その人格で判断されるべきなのです」と至極まっとうなことを発言しているのだが。
さらに、クリッツアーは、憲法学者のグレッグ・ルキアノフ(Greg Lukianoff,1974-)と社会心理学者のジョナサン・ハイト(Jonathan Haidt,1963-)の『アメリカン・マインドの甘やかし:善い意図と悪い理念は、いかにしてひとつの世代を台無しにしているか』(未邦訳)(The Coddling of the American Mind: How Good Intentions and Bar Ideas Are Setting Up a Generation for Failure, Penguin Books, 2018)を紹介しつつ、以下の4つの記事でアメリカのアカデミズムや大学でこのような反ポリコレ言論に対する抗議活動が生まれる理由について説明している。
◆「アメリカの大学でなぜ「ポリコレ」が重視されるようになったか、その「世代」的な理由 『アメリカン・マインドの甘やかし』(1)」2020年11月28日
◆「「ポリコレ」を重視する風潮は「感情的な被害者意識」が生んだものなのか? 『アメリカン・マインドの甘やかし』(2)」2020年11月29日
◆「アメリカでの「ポリコレ」の加熱のウラにいる「i世代」の正体『アメリカン・マインドの甘やかし』(3)」2020年12月5日
◆「ポリティカル・コレクトネスの拡大と「2010年代のアメリカ社会」の深い関係『アメリカン・マインドの甘やかし』(4)」2020年12月6日
上記のクリッツアーの四つの記事を要約してみる(要約部分はイタリックにした)。
アメリカの大学生たちは、以下の誤った3つの考え方に囚われているようだ。「人は傷つくことで弱くなる」と「常に自分の感情に従え」と「人生は善い人々と悪い人々との闘いである」である。
なぜ、このような被害者意識が強く自己検証能力が希薄で、かつ善悪二元論のような幼稚な世界観を今のアメリカ人の大学生が持っているかと言えば、彼らが「i世代」だから。
「i世代」とは、1995年から2012年頃までにアメリカで生まれ育った人々を意味する。彼らや彼女たちは、過去の若者世代より突出してうつ病や不安障害の罹患率が高く、自殺者数も自殺未遂者数も多い。
その理由として、「i世代」の脆弱さが挙げられる。彼らや彼女たちは、思春期以降の時間を電子機器(スマートフォン、パソコン、タブレット)やソーシャルメディア(SNS)とともに過ごしてきて、家族以外の人間関係に直接さらされる機会が少なかった。大学に子どもを送る中産階級以上の親の過保護傾向の影響もあり、「i世代」は安定志向であり、安全運転であり、冒険を好まず、飲酒率や喫煙率が低く、性の初体験年齢が遅く、アルバイトの経験年齢も遅い。
つまり、過去の同世代のアメリカ人と比較すると、「i世代」は精神的に幼く社会を知らない。だから、「人は傷つくことで弱くなる」とか、「常に自分の感情に従え」とか、「人生は善い人々と悪い人々との闘いである」という誤った考え方に囚われている。、
彼らや彼女たちが大学に入学した2013年から2014年あたりから、大学での反ポリコレ言論への抗議活動が盛んになってきた。それに呼応して、大学側は学生たちの虚弱性に留意して、学生を刺激しないようにしてきた。
つまり、「i世代」の精神的幼さや傷つきやすさは、昨今の高等教育機関の過度なリベラル教育の弊害ではない。「i世代」は、大学入学前から精神的問題を抱えやすい状態だった。だから、大学はそれに対処せざるをえなくなり、「事なかれ主義」(safetyism)となり、学生というお客様(とその保護者)の意向を汲んだ。大学も一種の経営体、企業であるからだ。
学生たちは、大学教員の講義内容や見解に関して不快に思うと、傷ついたと騒ぎ、「被害者」となり、クレームをつける。たとえば、美術史の講義でスライドでヌード像を見せられると性的嫌がらせと騒いで、大学側に対処を求める。
大学側は、そのクレームの妥当性を吟味することなく、教員の処分をすることで問題を鎮静化する。かくして、アメリカの大学は言論の自由や学問的中立性を守ることを放棄しつつある。
しかし、このような現象は「進歩の副作用」(problems of progress)かもしれないと『アメリカン・マインドの甘やかし』は指摘している。ポリティカル・コレクトネスを常に意識することで差別を許さない姿勢が社会により強く根づくこと自体は良いことであり、そうなっていく過程において、ひ弱さにも見えかねない超神経過敏な道徳的志向も生まれるのかもしれない。ポリティカル・コレクトネスの拡大は、今のところ、いろいろな問題を引き起こしているが、これは社会が進化し、より成熟するために通過すべきことなのかもしれない。
クリッツアーの記事はここで終わっているが、『アメリカン・マインドの甘やかし』において、著者のルキアノフとハイトは、結論として、若い人々に成熟した道を教えるべきであり、自分自身の思い込みほど自分を傷つけるものはないし、人生は善と悪の戦いという単純なものではないことを伝えるべきだとして、次の4つのことに留意すべきだと説いている ( The Coddling of the American Mind,263-69)。
(1)ソーシャルメデア(SNS)は、高まる精神疾患罹患率を高め、政治的に極端な二分化を促すので、ソーシャルメディアのFacebookやTwitterは、集団的健康さ、開放性、公的会話の文明度を高めるために自らのプラットフォームを改善すべき。
(2)親も教育者も過度な保護は子どもに悪影響を与えるので、もっと自由を子どもに与え、子どもの自主性と責任感を育むべき。
(3)自分がどの人種や民族や性に属しているかというアイデンティにこだわるあまり、人間存在は差異を超えて共通するものが多いことを忘れがちになるので、アイデンティティ・ポリティックスに距離を置く教育をすべき。
(4)大学は、学生や学生の保護者からの批判を回避したい事なかれ主義(safetyism)に陥ることなく、学問の府らしくもっと事実や表現の自由に留意すべきだ(シカゴ大学はそれを実践中)。
上記のように、ただただ社会の分断を促し、人々の単純な敵味方思考や善悪二元論を促進する類のポリコレ騒動に抵抗する動きも、アメリカには出ている。