なぜ人は「悪口」を言うのが楽しくてしかたないのか?【福田和也】
福田和也の対話術
■悪口が信頼感を高める効果があるということ
さらに大事なのは、悪口には、信頼感を高める効果もあるということです。
悪口を云っておいて、信頼というのはおかしい、と思われるかもしれませんが、考えてみて下さい。どんな人のことも悪く云わない、どんなバカげたことでも肯定するような人が、あなたを褒めたとしても、それをあなたは、素直に喜べますか。
しかし、つねに辛辣(しんらつ)なことを云う人が、例外的にあなたを褒めたりすれば、それは嬉しいのではないでしょうか。悪口には、お世辞のインフレーションを止める効果もあります。
ただし、この辺は非常に微妙なところですね。
微妙というのは、私の商売である批評という営為にもかかわるのですが、批判という行為と、悪口というものの境界は、非常に確定しにくい、ということです。
というよりも、ない、と云った方がいいかもしれない。
もちろん、批判というのは、対象の欠点なり誤りなりを指摘する行為であり、悪口というのは、対象をわざと悪し様に云うことだ、というように分類することができるでしょう。非常に乱暴な分け方をしてしまえば、批判は正当で、悪口は邪(よこしま)だということになります。
だが、云うまでもなく事態はさほど簡単ではありません。というのも、批判される方からみれば、批判された欠点なり誤りなり、迷惑なりというものは、欠点でも何でもない、ということが往々にしてあるからです。というより、ほとんどの場合がそうです。
とすると、批判される側から見れば、いかに正当な批判であっても、それはためにする曲解であり、歪曲(わいきょく)であり、要するに中傷、悪口にすぎないということになる。
一方、悪口を云う方にしてみれば、云われる方に相応の瑕疵(かし)があるからこそ云っているのだ、という意識があるのです。正当性があると思っている。
逆に云えば、あの人の食事の仕方は本当に下品だとか、まったく進退が見苦しいといったことについて悪口を云うにしても、それがまったく対象から遊離して説得力をなくしてしまっていては、悪口としての機能も果たさないわけです。
さらに、悪口が複数の人間のなかで許容されるには、ある程度その指摘が共通了解になっていなければならないわけで、その点からすれば悪口には、いずれにしても正当な批判としての部分がなければならない、ないのならば悪口としては失格だ、ということになるでしょう。
■批判と悪口の境界はどこにあるのか?
このように、悪口と批判は、なかなか分別(ぶんべつ)しにくいものですが、明確な指標がないことはありません。それは、指摘にかかわる悪意のあり方の差です。
といって、悪口は悪意の塊だが、批判は善意からなされるということではありません。悪口は、悪意をすすんで露呈し、また悪意自体を楽しむが、批判は悪意を隠蔽(いんぺい)しようとし、その隠し方をこそ楽しむということです。その点からすれば、悪口と批判の差は、露悪と偽善の違いということになります。
隠し方の差は同時に、語られるべき指摘が、主観的であるか、客観的であるか、ということの差異にも通じます。批判は、その偽善的な性格のために客観的な様相を呈し、悪口はその露悪のために主観的な様相を呈するのです。
さらに云うならば、ある人物への指摘が共感を聞いている人達の間に共有される場合に、その場を支配する雰囲気がどのような悪意に染められているかによって、語られることが批判であるべきか、悪口であるべきかが分かれるのです。
つまり、最初に申したような世辞のインフレーションを止めるものとして、悪口を云う場合には、批判としての性格を強めなければならない。つまり、悪意を押し隠して、客観性を装わなければならない。なぜなら、評価の中立性のごときものを主張出来なければ、みずからの世辞をはじめとする発言の裏づけをなすには至らないからです。
しかしまた一方、娯楽として、あるいはコミュニケーションとしての指摘は悪意を共有するということが、享楽の大きな要因となるので、悪口として、つまりは悪意を顕在的にして語らなければならないのです。云うまでもなく、享楽は、主観的に、つまりは料理を自分の舌で楽しむようにしなければ、味わい尽くせないからです。
しかしまぁ、批判にしろ、悪口にしろ、何と楽しいのでしょうか。この楽しさ、快楽というのは、きわめて美味であると同時に、毒でもあります。その快楽に耽溺(たんでき)しすぎると、酒やある種の薬物と同様に、理性を失ってしまう。理性を失ってしまうような危険があるからこそ楽しいのですが。
私などは、酒をやめられないのと同様に、悪口を云うこともやめられないと思います。いやそれどころか、老いぼれて酒にも女にも涸(か)れてしまったとしても、悪口を云うことだけは、やめないでしょう。いやな爺さんですって? いやいや申し訳ありません。