日本人は「安楽死」を望めるのか?【呉智英×加藤博子】
呉智英×加藤博子が語りあう「死と向き合う言葉」
ーーーでも、どうなんですかね。責任を感じる対象が置き換わっているだけではないですか。キリスト教の神なのか、親なのか。軍人だったら天皇とか。
呉:でも、恩返しというのは責任論だからね。神に対する冒瀆という発想よりはかなり弱いんじゃないかな。
加藤:西欧には殉教がありましたよね。
呉:殉教者ね。聖ペテロもそうだ。でもこれは神への恩返しになるわけだから、問題ないと解釈してるわけでしょう。イスラムだって、体に爆弾巻いて殉教自殺したりするのがあるんだからね。
加藤:むしろ誉れですからね。
呉:俺は何とかまともな形で生きていられるなら生きていてもいいけど、重病になって苦しむのは嫌だね。母の最期を見ていてもそう感じる。91歳で死んだけど、最後の一年間は早く死にたいと言っていた。肺炎になってもうダメだなと思っていると、現代は医学が進んでいるから治ってしまう。母はあの肺炎の時に死んでいればよかったと何度も愚痴っていた。俺も、そうだなあとは思うけど、そうだよねとも言いにくい。そこは、せっかく授かった命だからみたいな、当たり障りのないことを言っていたのだけど、おふくろの気持ちはよくわかる。糖尿が悪くなって長年人工透析していたから、体の末端部分、母の場合は足だったけど壊死(えし)してくる。足の指が真っ黒になって、骨が出てくるから、触れるだけで痛いんですよ。万一、よくなったとしても91歳だから、この先、世界旅行に行くとかはあり得ない。どちらにせよ死が目前に迫っているのだから、強い痛み止めの薬に頼るしかない。モルヒネ系の薬ね。これを医者がなかなか使いたがらないのが問題なんですよ。事故があったらと。いまさら事故もへったくれもないから、強い痛み止めを使ってくれと懇願して、ようやく安眠できるようになった。麻薬系の薬はほかに障害が出るというけど、死が差し迫っていれば、痛みを止めなければいけないと思う。医者がそれをやらないなら、安楽死したい。お金や手続きの問題があるけど、スイスやオランダに行って死のうという気持ちになるよね。ただし、体が動かなくなったら飛行機にも乗れなくなる。
加藤:それなら橋田壽賀子みたいに、スイスに連れていってくれる人を確保すればいいんですよ。
(呉智英×加藤博子著『死と向き合う言葉:先賢たちの死生観に学ぶ』より本文一部抜粋)
【著者略歴】
呉智英(くれ・ともふさ/ごちえい)
評論家。1946年生まれ。愛知県出身。早稲田大学法学部卒業。評論の対象は、社会、文化、言葉、マンガなど。日本マンガ学会発足時から十四年間理事を務めた(そのうち会長を四期)。東京理科大学、愛知県立大学などで非常勤講師を務めた。著作に『封建主義 その論理と情熱』『読書家の新技術』『大衆食堂の人々』『現代マンガの全体像』『マンガ狂につける薬』『危険な思想家』『犬儒派だもの』『現代人の論語』『吉本隆明という共同幻想』『つぎはぎ仏教入門』『真実の名古屋論』『日本衆愚社会』ほか他数。
加藤博子(かとう・ひろこ)
哲学者。1958年生まれ。新潟県出身。文学博士(名古屋大学)。専門はドイツ・ロマン派の思想。大学教員を経て、現在は幾つかの大学で非常勤講師として、美学、文学を教えている。また各地のカルチャーセンターで哲学講座を開催し、特に高齢の方々に、さまざまな想いを言葉にする快感を伝えている。閉じられた空間で、くつろいで気持ちを解きほぐすことのできる、「こころの温泉」として人気が高い。さらに最近は「知の訪問介護」と称して各家庭や御近所に出向き、文学や歴史、哲学などを講じて、日常を離れた会話の楽しさを提供している。著作に『五感の哲学——人生を豊かに生き切るために』。
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