女性蔑視発言で辞任騒動、アニメ・CM放映の自粛。何のためのポリティカル・コレクトネスか?【仲正昌樹】
■言葉に対して脊髄反射的に非難する前に考えたいこと
PC的な即断によって責められた、私個人の経験を挙げておく。私の務める金沢大学の法学類(大学院法学・政治学専攻)で、大学院を改組するに当たって、入学希望者をどうやって増やしたらいいのか、という議論をしていた時のことである。私は専攻の長と一緒にその改組案を練った委員会の一人だった。ある先生が、「他大学では、定年退職者や専業主婦に入学しやすいコースを作っていると聞く、内もそういうことを試みたらどうか」と発言したので、私は「都会の大きな大学で、いろんな人が受験しにくる可能性があるところならいいですが、内のような地方の小規模の大学は、そんなに多様なカリキュラムを揃えられません。退職した人はともかく、主婦で、大学院に入学して本格的に勉強する気になる人がそんなにいると思いますか」、と言ったら、先ほどとは別の先生が、「今、ジェンダー的に問題のある発言がありました。〇〇先生の御提案は真剣に受け止めるべきで…」、と言い始めた。
その人は、普段、私に対して、先生のことを崇拝しています、などと言っているので、余計に腹が立った。一瞬、「誰に向かって、そんな失礼なたわごとを言っている!」、とでも怒鳴ってやりたくなったが、提案側だったので、ぐっとこらえて、「女性の主婦であろうと、男性の主夫であろうと、『シュフ』をやっているのは何らかの事情や考えがあってのことです。退職者は、退職によってその事情が大きく変化したのだから、経済的事情が許せば、今までできなかった勉強に本気で取り組みたくなる可能性は考えられますが、シュフの場合は、それがないでしょう。医療訴訟とか住民運動とかに関わって、何か特別のテーマを勉強しなくてはいけないという特殊事情が生じたのなら、社会人特別選抜枠で応募してくれるはずです」、と言っておいた。
昨今の大学院の事情を知らない人のために、捕捉説明しておくと、文科省の方針に合わせて、ほとんどの大学は少子化で学部の入学定員が減った分を、大学院の定員に置き換え、大学の経営規模を維持しようとしている。学部からストレートに大学院進学を希望する学生はむしろ減っているので、留学生や、社会人で職場の許可を得て特定のテーマで修士や博士の学位取得を目指している人にターゲットを絞ることになる。それでも足りないということで、定年退職者や主婦(夫)という話が出てくるわけだが、どうしても入学試験の合格基準や、研究計画の評価が甘くなりがちだ――留学生や「高度専門職業人」に対する評価も甘くなりがちだが、それ以上に、ということだ。事実上の無試験で、何となく箔を付けたいという人を入れてしまうと、後が厄介なので、私としては、誰でもいいから来て下さい、というような雰囲気の入試要項やカリキュラムを作りたくなかったのである。
無論、先に述べたように、主婦(主夫)であっても、何かの問題に遭遇して大学院で勉強したいという強い動機を持つ可能性はある。ただ、そういう人は、社会人特別選抜の枠で応募しようとしてくれるはずであり、「誰でも入れますよ」的ないい加減なコースはむしろ願い下げだろう。そういう風に考えていたので、主婦(主夫)向きの緩いカリキュラムを検討したくなかったのだが、その(私を崇拝しているはずの)先生は、私がそういう文脈で考えているとは想像できず、「主婦」というワードに否定的な反応を示した、という単純な事実に脊髄反射してしまったのだろう。
PC失言を問題視され、まともに相手にされなくなった言論人でも、どういう文脈を念頭に置いて、その言葉、表現を使ったのか詳しく聞いてみたら、思っていたのとはかなり違う、ということはあり得る。本当に差別のない社会を目指しているのなら、いきなり「正しい答え」を示してマウントを取ったり、改宗を迫る前に、ちゃんとした問答を始める努力をすべきであろう。
文:仲正昌樹