「コロナ禍」でのカミュの言葉と、二人の自殺者の遺書【呉智英×加藤博子】
呉智英×加藤博子の「死と向き合う対話」
■マルクスに凭(もた)れて六十年 〜 岡崎次郎
呉:もう一人がマルクス主義経済学者の岡崎次郎です。彼は『資本論』の翻訳もしていますが、マルクス主義の実践家ではない。それどころか、しばしば放蕩生活もする。そんな人生を振り返ってみた自省的あるいは自嘲的自伝。これが無類に面白い。書名からして自虐的でユーモラスで笑っちゃう。『マルクスに凭(もた)れて六十年』っていうんだから。自分のような半端者は、実はマルクスのおかげで生きてこられた。八十歳になる今考えてみると、成人後の六十年間はマルクスに凭れて生きていたようなもんだ、というんだね。
加藤:面白い人ですね。
呉:本の中に出てくる逸話、裏話がどれも面白い。ところが、この飄逸(ひょういつ)な自伝が実は遺書なんです。
加藤:え、すぐに亡くなったのですか。
呉:いや、そう簡単ではないから興味深い。この本を出版し、友人たちにこの本を贈呈し、家具等を処分してマンションを引き払い、老妻と二人で車に乗ってどこかへ旅立つ。家族は奥さんだけです。足跡を辿ると、何カ月間かあちこちの温泉旅館などに泊まったことがわかる。しかし、その後は生死、行方とも不明です。富士の樹海のようなところで死んだか、断崖絶壁から海へ飛び込んだか、全くわからない。知人たちは、奥さんと「西のほうに行く」と言ったのを聞いている。実際、関西、中国のほうに足跡は残っています。
この生き方、死に方は、何か感動するよね。悲しいわけではなく、楽しいわけでももちろんない。しかし、何かが胸に響くね。
加藤:奥さんもすべてを知った上で岡崎次郎についていったんでしょうね。
呉:俺は「週刊朝日」に話を持っていって、岡崎次郎の足取りを追跡させた。記事にもなりましたが、結局最後はわからなかった。『マルクスに凭れて六十年』は現代史の資料としても重要なので、復刻させようといくつかの出版社に働きかけたけど、著作権問題がネックになって、うまく行かなかった。著者が生死不明なので許諾が得られないんでね。生死不明ったって、いま生きてりゃ百十六歳だよ(笑)。
加藤:でもその本は面白そうだし貴重ですよね。
呉:ここでもそれが皮肉な結果となって、古書価が大暴騰、実に十万円ぐらいになっているんだよ。
加藤:マルクス主義経済学者の回顧録が、資本の論理に左右されてゆく。
呉:死と言葉。そして生の皮肉、逆説。木村センと岡崎次郎の死は、それを象徴しているように思います。
(呉智英×加藤博子著『死と向き合う言葉:先賢たちの死生観に学ぶ』より本文一部抜粋)
【著者略歴】
呉智英(くれ・ともふさ/ごちえい)
評論家。1946年生まれ。愛知県出身。早稲田大学法学部卒業。評論の対象は、社会、文化、言葉、マンガなど。日本マンガ学会発足時から十四年間理事を務めた(そのうち会長を四期)。東京理科大学、愛知県立大学などで非常勤講師を務めた。著作に『封建主義 その論理と情熱』『読書家の新技術』『大衆食堂の人々』『現代マンガの全体像』『マンガ狂につける薬』『危険な思想家』『犬儒派だもの』『現代人の論語』『吉本隆明という共同幻想』『つぎはぎ仏教入門』『真実の名古屋論』『日本衆愚社会』ほか他数。
加藤博子(かとう・ひろこ)
哲学者。1958年生まれ。新潟県出身。文学博士(名古屋大学)。専門はドイツ・ロマン派の思想。大学教員を経て、現在は幾つかの大学で非常勤講師として、美学、文学を教えている。また各地のカルチャーセンターで哲学講座を開催し、特に高齢の方々に、さまざまな想いを言葉にする快感を伝えている。閉じられた空間で、くつろいで気持ちを解きほぐすことのできる、「こころの温泉」として人気が高い。さらに最近は「知の訪問介護」と称して各家庭や御近所に出向き、文学や歴史、哲学などを講じて、日常を離れた会話の楽しさを提供している。著作に『五感の哲学——人生を豊かに生き切るために』。