大阪府南部、貝塚市内を走る小さな水間鉄道に乗ってみた
活性化策を模索中の魅力あるローカル私鉄
大阪ミナミのターミナル難波駅から南海本線の急行に乗ることおよそ30分で貝塚駅に到着する。改札口の右手にある階段を降りると、もうひとつの小さな貝塚駅があった。ここから南の方へ5.5km延びているミニ私鉄水間鉄道の起点である。終点が水間観音駅ということで分かるように、水間観音(正式には「水間寺」という)への参拝客を運ぶため、90年以上前の1925(大正14)年12月24日に開業した鉄道だ。
紆余曲折を経た歴史をたどり、現在動いている電車は、首都圏の東急電鉄から譲り受けたステンレス車両2両編成である。ICカードも使える改札口を入るとホームが1本だけあり、右側に水間観音行きの電車が停まっていた。学生時代に通学で利用していた車両だけに懐かしい。バスのような料金箱が運転台の後ろに設置されているのは水間鉄道にやって来てからの改造だろうが、車内のロングシートなどの様子は往時のままのようだ。
ほどほどの乗客で半分ほどの席が埋まったところで発車。すぐに左へ急カーブして南海本線と分かれる。あとは、それほどのカーブもなく、淡々と単線の線路を進んでいく。貝塚市役所前の次、2つ目の駅は「近義の里」と書いて「こぎのさと」と読む。知らないと正しく読めない駅名で、このあたりに大陸から渡来した近義(こぎ)氏という豪族が住んでいたことに由来するとの説がある。
やがて、電車はJR阪和線の高架下をくぐりぬける。どちらにも駅はなく、水間鉄道沿線から大阪市中心部へ向かうには南海電鉄を利用するしかない。南海の子会社ではないけれど、南海に忠誠を尽くしているみたいだ。
次の石才(いしざい)駅も知らないと正しく読めないけれど、その次の清児(せちご)駅は、見当もつかない駅名である。奈良時代、僧の行基が聖武天皇の命により観世音菩薩を探しに出かけたところ、このあたりで16人の童子が現われ、子供たちに導かれて観音像を持った仙人に出会うことができた。子どもたちのもてなしに感激した行基が「なんと清らかな心を持った稚児たちよ」と称賛したことが、地名の由来だと言う。その観音像を祀ったのが水間寺であり、清児は、水間とは切っても切れない土地なのである。