「礼儀を尊重しない人、礼儀の意義に無自覚な人」の落とし穴【福田和也】
福田和也の対話術
そう考えてみれば、「こんにちは」の発声一つ、お辞儀一回にしたって、あだやおろそかに出来ないはずです。あんまり深く頭を下げてはおかしい場合もあれば、会釈では失礼な時がある。頭を下げる時間、上げる時の早さ、あらゆることが変化して対応しなければならないのと同時に、きわめて自然に行われなければならないのです。
そんな面倒なこと、いやだ、と思われるでしょうか。でも考えてみて下さい。実際には、みなさんも、日常の場面では多少とも儀礼の形を変えながら用いているのではないでしょうか。どんな時でも、スーパー・マーケットのアルバイト研修でならった「お客さまへのお辞儀」をする人はいないはずです。
だから私が申したいのは、そういった自分が無意識に行っている、作法のアレンジにたいして、意識的になれ、ということなのです。
意識的になるということは、礼儀を演出しきる、ということです。感じのいい挨拶、あるいは緊張感をみなぎらせた挨拶、媚(こび)を含んだ挨拶、といったことをしっかりとした目論みの上で、なおかつ自然に見えるようにしなさい、ということです。
演出といったってなかなか難しい、というのはその通りです。鏡を見ながら、いろいろとやってみるというのも、いいかもしれませんが、すぐに上達するわけではない。
そこのところに、茶道とか、日本舞踊とか、マナー教室などの意味が出てくるわけです。こうした伝統的な技芸には、演出の型がたくさん詰まっているわけですね。茶道の所作などには、自分の演出につかえるパターンや参照が多くあります。
別にこうしたものでなくても、フラメンコでも、ソムリエのテイスティングでも、使える型はあるのですね。それを意識的に、自分の演出として生かすことが大事なのです。いくら型をとりいれても、マニュアルの項目を増やしただけになってしまっては、何にもなりません。
(『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』より本文一部抜粋)
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