大学では対面授業がようやく再開。コロナ禍でも有意義な社交の場をもつために【福田和也】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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大学では対面授業がようやく再開。コロナ禍でも有意義な社交の場をもつために【福田和也】

福田和也の対話術


首都圏の緊急事態宣言が解除され、対面での会話の機会が増えてきた。変異種のコロナ感染のリバウンドが懸念されるなか、4月からスタートする新学期の大学の対面授業が増えてきそうだ。とはいえ、zoomをはじめとしたネットコミュニケーションの普及により対面機会の減少はこれまでにないスピードで進んでいる。当然コロナ禍も手伝って…。初選集『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』(KKベストセラーズ)を上梓した文芸評論家・福田和也氏は、それでも対話の本質は「対面機会」にあることを強調する。ではコロナ禍で「対面機会」を実現していくにはどうしたらよいか? それはいままさに私たちの課題のひとつであるが、まずは「対面機会の重要性」について振り返っておこう。


社交と立場について

 

■対面機会の減少

 

 対話についていろいろな話をしてきましたが、一度対話が交わされる場自体について検討しておく必要があると思います。

 人が会話をする場面はいくつもあります。人間が言葉をもった動物として定義出来るとするならば、人間が人間としてふるまうところすべてにおいて、言葉が、発語がかかわると云ってもよいでしょう。

 家庭での会話、地域の人たちとの会話、買い物をする時など生活の場面での会話、学校での、仕事での……私たちが他者と言葉を交わす場面は沢山あります。

 ところが今日の社会情勢の下で、会話する場面、あるいは必要がじょじょに減っていることも事実です。スーパー・マーケットなどでは、一言も発せずに買い物をすることが可能ですし、それに慣れてしまえば、洋服などを買う時に店員さんとやりとりをすることが鬱陶しくなるという有様です。仕事の上でも、社の内外にたいしてメールで連絡をする、学校でも教員やクラスメイトにたいして質問や連絡をメールでする、もちろん友達や恋人とも、ということになれば、いきおい実際に対話をする場面は減っているということになりかねません。

 メール友達から結婚に至る、などというケースが増えているといった報道を聞くと、異性間での対話も、対面して語るよりはメール上での方がより楽しめる、本心を語りあえるということになれば、むしろメディア・リテラシーを学んだ方がよいということになりかねません。昔から対面的に云えない気持ちや感覚を伝える手段として手紙というものも存在していたのですが、現在の心持ちからすれば重すぎるということになるのでしょう。

 けれども、私の考えるところによれば、こういう形で非対面的な場面が増える、あるいは会話の実需が減る、という趨勢(すうせい)にあるからこそ、対話について意識的である必要が増しているのです。あるいは対話における技術的アプローチが要請されていると云い直してもよい。

 まず、何よりも対面的に、つまりライブで人とコミュニケートする機会が減っているということは、とりもなおさず対話の鍛錬を積む機会が減っているということです。

 だとするならば日常からある種の意識を積むのと同時に、対話をする機会があればその行為を注意深く、意識的に行うこと、あるいは印象的であった会話について反省し、また反芻(はんすう)することが大事になるのです。

 さらに問題は、対話の機会が減っていく結果、一回、一回のコミュニケーションの機会がもつ意味がきわめて大きくなってしまうということです。対話するということが、非常に貴重な機会になるのです。

 仕事の上でも、以前はしょっちゅう顔を合わせていた相手にたいして、メールなどで連絡することで声も聞かないという状態になってしまうことがあります。あるいは新しい仕事のつきあいでも、対面するのは最初の打ち合わせだけで、あとはすべてファックスとメールということもあるでしょう。

 だとするならば対面する機会に、好印象を与えるだけでなく、意思疎通の土台を作っておくことが重要になります。数少ない機会をしっかりと生かすためには、意識的なアプローチが必要になることは云うまでもありません。

 同時に、対面機会が減ったために、対話の場の性格自体が変わっていきます。

 仕事における対面機会が、情報革命の恩恵によってますます減っていくとするならば、対話のなかで仕事が占める割合も減ることになります。とするならば、対話は業務よりもむしろプライヴェートな場所に比重が重くなるわけです。

 プライヴェートな場面といっても、家庭やきわめて親しい友人、恋人などとの間では、さほど意識的な対話は必要ないでしょう。もちろんこうした親しい間にもある種の技術的、戦略的アプローチは必要だと思いますが、と同時にあまりにも技術的になってしまうことは親しい関係のなかではむしろ弊害の方が大きいかもしれません。確かに日本の家庭、夫婦には対話がないということがよく云われますが、それは技術の問題ではなく、例えば話題を提出する能力であったり、相手への配慮の欠如であったりします。

 

次のページ対話の技術で問題なのは、やはり初対面のときにある

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文藝評論家・福田和也の名エッセイ・批評を初選集! ! 
◆第一部「なぜ本を読むのか」
◆第二部「批評とは何か」
◆第三部「乱世を生きる」
総頁832頁の【完全保存版】

◎中瀬ゆかり氏(新潮社出版部部長)
「刃物のような批評眼、圧死するほどの知の埋蔵量。
彼の登場は文壇的“事件"であり、圧倒的“天才"かつ“天災"であった。
これほどの『知の怪物』に伴走できたことは編集者人生の誉れである。」

[caption id="attachment_885462" align="alignnone" width="205"] 『福田和也コレクション1:本を読む、乱世を生きる』(KKベストセラーズ)絶賛発売中。[/caption]

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福田 和也

ふくだ かずや

1960年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。同大学院修士課程修了。慶應義塾大学環境情報学部教授。93年『日本の家郷』で三島由紀夫賞、96年『甘美な人生』で平林たい子賞、2002『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』で山本七平賞、06年『悪女の美食術』で講談社エッセイ賞を受賞。著書に『昭和天皇』(全七部)、『悪と徳と 岸信介と未完の日本』『大宰相 原敬』『闘う書評』『罰あたりパラダイス』『人でなし稼業』『現代人は救われ得るか』『人間の器量』『死ぬことを学ぶ』『総理の値打ち』『総理の女』等がある。

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