日本で東京五輪を開催する価値がない、これだけの理由【平坂純一】
平坂純一「日本のハラスメント」
次に、世人は慢性的な貧困と停滞感にイライラしており、インターネットや雑誌等でまことしやかに伝わる「セレブリティのヤラカシ」で溜飲を下げる。その多くは庶民の生活や公共の利益に何ら資することはない。昨今、マリー・アントワネットの無駄遣いが大した額でなかったのが歴史的事実として判ったのだが、それを小粒にした、中途半端な公開処刑で気分を落ち着けるのは不健康どころか、何ひとつ意味がない。これを「ハラスメント・バイ・ピープル」と呼びたい。
そして、その中間にあって、煽り立てるのがマスコミである。大衆やマスコミは“ハランスメント”や“ルッキズム”を批判しながら、それらを求めているのは、大衆自身なのである。瞬間的で義のかけらもない「怒ったフリ」をするのは不誠実な人間ではないか。小泉進次郎がもしもクチャクチャのオジサンだとすれば、許されない無責任な発言を看過される、あるいは韓国アイドルに憧れて美容整形したがる若者たちをルッキズムと呼ばずして何とするのだろう。
事の本質は、昭和のオジサンを如何に無害化して葬りつつ、ある一面的な見方しかできない外圧としてのポリコレをシカトして、正しいナショナルなものを再建するか? 以外にないはずである。良い政治と社会を取り戻すために、口の軽い森のようなオジサンを叩く如きで叶うわけもない。デフレ思考に麻痺して、たまに無意味なサーカスがあれば喜ぶ、人の噂話に喜ぶ浅ましい大衆など政治家には操りやすいカモである。
特に社会で役割を失った人々にとって、成功者のヤラカシほどの愉楽はないのだろう。自分と役割を奪った原因は社会にあり、自民党筆頭に政治家であり、横分けのあの男たちである。その原因を取り除くには、政治家の数を減らすことでも給与を減らすことでもない(議会の力が弱まれば益々、行政の力が大きくなる)。僕ら30−40代の4人に1人は年収300万円以下で暮らしているという数字を目の当たりにしながら、小さな政府を志向する党員だらけが乱立する小選挙区制の見直しの議論もできないのだから、およそ先進国ではない。この国で五輪などやる価値も理由もない。
このコロナ禍で僕らは「全般的かつ実体的ウザさ」を共有することになった。それは東日本大震災に冷ややかな対応をした都民も含めて、である。この「ウザさ」の根源にあるのは、新自由主義的な政策を20年以上重ねることで得た貧困と、それによるモラルハザード、そして日本の日本らしさを自分から捨てたことに他ならない。マトモな国家があれば、去年の春節あたりで解決していた話で一年以上混乱しているのだから、無理もない。そして、天にツバ吐く愚かさに気づけぬマスコミと大衆の盲動には、つける薬なしと突き放すよりない。
著者略歴
平坂純一(ひらさか・じゅんいち)
1983年福岡県出身。中央大学法学部卒業後、司法試験よりも保守思想家・西部邁の私塾に執心する。脱サラしてアウトローの生活を送った後、フランスの保守主義に関心を持ち、早稲田大学文学部フランス語フランス文学コースに再入学。在学中に西部邁の推薦で雑誌『表現者』にて「ジョゼフ・ド・メーストルと保守主義」でデビューする。現在は後継雑誌『表現者クライテリオン』にて、「保守のためのポストモダン講座」を連載中。KKベストセラーズより「ジャン=マリー・ルペン自伝 上巻(仮)」を出版予定。