坂本龍馬暗殺の犯人は誰か? 被疑者の動機と状況から捜査する
あの歴史的事件の犯人を追う! 歴史警察 第2回
■犯人は誰か?
実行犯は、中岡慎太郎と坂本龍馬を死傷させたまま逃走した。そのため、いまとなっても、犯人は断定されていない。新撰組、京都見廻組、薩摩藩、紀州藩、土佐藩が黒幕として挙げられている。いずれも、坂本龍馬と中岡慎太郎とはなんらかの接点があり、暗殺は可能かもしれない。ただ、実際に暗殺を遂行する動機があったのか、それぞれの被疑者がおかれた状況からみていくことにしよう。
1、新撰組
当時からまず被疑者とみなされたのが新撰組である。新撰組は、文久3 年(1863)、剣術に秀でた浪士を中心に、京都の治安維持にあたった幕府の組織を指す。当然のことながら、幕府の方針に反する尊王派の志士を取り締まることも任務のひとつであり、元治元年(1864)には、京都三条の旅館池田屋で謀議をしていた長州藩・土佐藩などの志士を襲撃し、殺傷している。そのようなわけで、新撰組がまず疑われたというのも、ゆえなきことではない。ただ、このときの新撰組は、新撰組から離脱した伊東甲子太郎が結成した御陵衛士と対立しており、近江屋事件を引き起こす余力はなかったろう。実際、近江屋事件の3日後の11月18日、新撰組の近藤勇らは、京都の油小路で伊東甲子太郎らを暗殺している。
2、京都見廻組
京都見廻組も、新撰組と同じく、京都の治安維持にあたった幕府の組織である。浪士から選ばれた新撰組と異なり、京都見廻組は剣術に秀でた旗本の次男や三男のなかから選ばれている。京都見廻組は、れっきとした武家の出身で、そういう経緯から、京都の要所を管轄していたらしい。近江屋事件がおきた時点では、京都見廻組が実行犯として注目されることはなかった。しかし、明治3年(1870)、箱館戦争で降伏した隊士の今井信郎が、犯行を自供したことから、にわかに脚光を浴びることになる。自供をしたのだから、京都見廻組を実行犯と認めてもよいのかもしれない。しかし、幕府の治安維持組織として殺害している以上、暗殺ではなく、正当な権力の行使として公表することもできたのに、あえてしなかったのはなぜなのか。いずれにしても、今井信郎は裁判の結果、禁固刑が科せられており、その後は、特赦により釈放された。
3、薩摩藩
武力で倒幕を目指す薩摩藩にとって、大政奉還に尽力した坂本龍馬は邪魔な存在であったため、暗殺におよんだものとする。大政奉還とは、幕府が朝廷に政権を返上することをいう。将軍は朝廷から任命される官職であり、最後の将軍徳川慶喜が朝廷に政権を返上したことで幕府は消滅し、倒幕派が大義名分を失うことになったのは確かである。ただ、大政奉還に坂本龍馬が関わったのは確かであっても、その主導的な役割を果たしていたわけではない。それに、中岡慎太郎にしても坂本龍馬にしても、倒幕を否定していたものではなかったから、薩摩藩とはなんら利害が対立するものでもなかった。なにより、薩摩藩の中心にいた西郷隆盛は坂本龍馬とは親しく、暗殺を命令したとは考えにくい。