着飾る時代からラクが一番の時代へ…平成流行クロニクル〈ファッション編〉
時代を象徴するアイテムの変遷を辿る
◆平成の始まりと終わりでは時間とお金の使い方が変化
昭和天皇の崩御によって日本中が自粛ムードに包まれていた頃、当時が働き盛りの団塊世代が受けていたバブル景気の恩恵は、東京の私立高校で学び、放課後や休日になると渋谷で遊んでいた団塊ジュニアの財布にも及んでいた。渋谷・原宿界隈のセレクトショップでアメリカから輸入されたウエアと密に触れていた団塊ジュニアたちが渋谷で披露したアメリカンカジュアルなスタイルが「渋カジ」と呼ばれてファッション誌によって特集が組まれ、全国に波及していったのが平成元年のこと。翌年には「渋カジ」から「ハードアメカジ」や「キレカジ」が派生した。
平成の始まりとともにアメリカンカジュアルの魅力にのめり込んでいた人々が、その思想を純化させるかのごとくヴィンテージの発掘へと向かっていったのは平成 5年くらいからだ。同年にはアンダーカバーの高橋盾とア・ベイシング・エイプのNIGOによって原宿にNOWHEREがオープンし、「裏原ブーム」の発端となる。
「渋カジ」や「キレカジ」の流行、「ヴィンテージブーム」や「裏原ブーム」の隆盛というものはあくまでもドメスティックな動きであり、これらが起きていたのは西暦でいえば1990年代までの話。2000年代に入ると潮目が変わった。経済のグローバル化と歩調を合わせるかのように、ファッションにおいても海外と均一化していく動きが顕著になる。2002(平成14)年に日本で開催されたサッカーワールドカップの際に老いも若きもベッカムヘアの真似をしたのを皮切りに(!?)、'00年代はハリウッドセレブのプライベートファッションを追いかけるムーブメントが活発化した。
平成20年の節目にH&Mが日本に上陸してファストファッションが完全に市民権を得てからというもの、平成元年(渋カジ時代)の団塊ジュ二アたちのように服を探すのに特別な時間をかけたり、お金をかけたりするメンタリティは過去の遺物になったといえる。
さらには、ここ数年の間で「ノームコア」や「アスレジャー」のトレンドがアメリカから輸入されるに至っては、“肩肘張らず、とにかくラクにいこう”という気分が支配的になってきた。ファッションに関していえば、このマインドが次の新しい元号を迎える際の出発点になることは間違いない。
〈雑誌『一個人』2018年5月号より構成〉