日本最古の国宝の城にして“烏城”と呼ばれる漆黒の天守「松本城」
発売中!『歴史人』5月号の特集は「戦国の城と合戦」
江戸時代またはそれ以前に作られた天守を「現存天守」と呼び、日本国内には12の天守が残っている。これらを総称して「現存12天守」という。『歴史人』5月号では、現存12天守の成り立ちや歴史に加え、縄張り図や断面図などを解説。その中から、いくつかの天守を紹介しよう。まずは、北アルプスをバックにそびえ立つ松本城だ。
「五重六階の天守としては日本最古を誇り、その天守の大きさは姫路城に次ぐ29.5m。三重に巡る水堀、北アルプスの山々をバックに佇む松本城は、まさに国宝の代表格だ。
その前身は戦国時代の永正年間(1504~1521)にさかのぼる。当時、深志郷(現・松本市)を治めていたのは信濃の守護・小笠原氏で、深志城は本拠地・林城を取り囲む支城のひとつに過ぎなかった。一時は武田信玄に奪われるが、武田氏滅亡後に小笠原貞慶が旧領奪回に成功。その時に地名を松本と改め、城の名も松本城となった。
豊臣秀吉の天下統一後、深志城には石川数正が入城。数正とその子・康長が城郭と城下町の整備を行ない、戦国時代末期には天守を含む大城郭が完成。その後は松本藩の藩庁となり、藩政のシンボルとなった。松本藩は小笠原氏や水野氏など、徳川の譜代大名が入れ替わりで統治し、幕末までは戸田松平氏が9代にわたって統治した。
松本城天守でぜひ注目したいポイントは、江戸時代の初期に三代将軍・家光を迎えるために増築された月見櫓。周りに巡らされた朱塗りの回縁や船底型の天井など、全国でも類を見ない優雅な造りが特徴だ」(文/上永哲矢・監修/小和田泰経)
五重六階の天守として日本最古の松本城。現存12天守唯一の平城としても有名だ。