幕末のコンサルタントと評された行動派の儒学者・梅田雲浜。実は芸術性が高かった!?
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第37回 ~梅田雲浜~
歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)を読み解く。※四柱推命と用語の説明はページの最後をご覧ください。
今回は、尊王攘夷派の思想的指導者、小浜藩士で儒学者の梅田雲浜を鑑定する。雲浜の存在はそれほど知られていない。ともすれば、吉田松陰を死においやった人物として話題にあがるかもしれない。しかし、今回の四柱推命鑑定を通して、新たな雲浜像が見えてきた。
梅田 雲浜(1815-1859)
生年月日:文化12年6月7日(現行暦:1815年7月13日)
まずは、命式表の中で、自然界での役割を表す重要な場所、日柱の干支を読み解いていく。
○日柱の干支:「辛酉」(かのととり)
これは「秋」の「ダイヤモンド」を表す。繊細で芸術性にあふれるイメージだろうか。「辛(かのと)」は、ダイヤモンドや宝石を意味するが、一見普通の石に見える原石を磨くことによって、光輝くダイヤモンドになるように、「辛」の人は他の人に比べて苦労が多いのが特徴。しかし、その苦労に耐える強さを持っている。
雲浜というと、「妻臥病床児叫飢(妻は病床に臥し児は飢に叫ぶ)」から始まる詩が有名であるが、常に貧乏な生活を送っていたという。そのような中でも「自分の志は大和魂、この志を金で売るわけにはゆかぬ」と言って浪人となり、各地を遊説して回り尊王攘夷派の思想的指導者となっていった。障害は多くても、目標に突き進む強い精神性を持っていたのだろう。
同様に、日柱の干支に「辛酉」を持つ人物として、俳優の向井理やレスリングの吉田沙保里選手がいる。
続いて、通変星、蔵干通変星から雲浜の性格を読み解いていく。通変星、蔵干通変星をわかりやすく円グラフに表すと下記のようになる。
知性…様々な分野の知識が豊富で、何かを学ぶことに喜びを感じる。頭の回転が速く、物事を論理的に捉えることが上手。
行動力…頭で考えるよりも行動で結果を出す。未知の分野に挑戦する意欲が強く、交渉力や営業力を磨けば成功できる。
人脈…さりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる。サービス精神が旺盛でコミュニケーション能力も高く人を動かせる。
自立心…他人に依存することなく、自分が信じた道を突き進む強い精神性。リーダーシップを発揮しフリーで活躍できる。
遊び心…楽しいことを企画する等、生活に遊びを取り入れることが自然とできる。芸術面の才能があり、表現力が豊富。