幕末のコンサルタントと評された行動派の儒学者・梅田雲浜。実は芸術性が高かった!?
歴史上の人物を四柱推命で鑑定! 第37回 ~梅田雲浜~
続いて、十二運星を見ていく。
「衰(すい)」
長老的な役割を果たし、客観的に物事を見ることができる。知識が豊富で地味な生活を好む。
「建禄(けんろく)」
王子様の星。王様の星=帝旺、女王様の星=冠帯と並び、「身強の星」の1つであり、エネルギーが強く、経営者等に向いている。目標を掲げ、休みなく前進する努力の星。
あまり知られていないが、雲浜は、幕末のコンサルタントと称されている。まさに「衰」と「建禄」を足し合わせた性格の持ち主だったのだろう。
明治維新において、徳川幕府が薩長を中心とした倒幕勢力に敗れたのは、経済的な面が大きい。つまり、徳川幕府には十分なお金がなく、一方の薩長側は豊富な財を用いてイギリスから最新式の武器を手に入れた。倒幕勢力が経済力を付けるために尽力したのが雲浜だ。
前に触れたように、雲浜はとにかく貧乏だった。「せっかく高い志を持っていても暮らしに困っていては政治活動がおろそかになる」と考え、さらにそれを組織に当てはめ、「尊王攘夷を掲げていてもその藩に十分な財力がなければ達することができない」と思った。そこで、雲浜は長州藩に目を付け、重臣・坪井九右衛門に近づき、長州の三白(紙、ロウソク、塩)を他国に販売する筋道をつけた。派閥の異なる吉田松陰や松下村塾の生徒から批判を受け、時には山師扱いをされながらも、長州藩の経済を安定させ、その上で本当の目的である尊王攘夷運動にのめりこんでいった。明治維新を見ずして獄中死するが、明治維新を経済面から眺めると、雲浜の功績は大きい。先々を見越し客観的に物事を見られる「衰」と、目標を掲げそれに向かって努力できる「建禄」を存分に生かしていたのだろう。
「沐浴(もくよく)」
何をしでかすかわからない面白い星。芸術性が高く、海外・放浪生活が好き。また、浮気性の星でもある。センスがよく魅力的でもある。
雲浜は松陰とセットで語られ、松陰ファンにはあまりよくないイメージをもたれているかもしれない。しかし、雲浜が逮捕されると、松陰は赤根武人に、大和の住民を結集して伏見の獄を壊し、雲浜を救出するよう命じている。学者、政治家、経済人として松陰もその存在を認めていたのだろう。松下村塾の看板は雲浜が書いたものとも言われている。
経済は「経世済民」の略であり、「世を整えて民を救う」の意味があるが、雲浜の経済政策こそ、まさにこれを地で行っていると思う。経済はただのそろばん勘定でなく、背景に「政治理念」がある。雲浜の行動から、経済の本来の意味を私自身の腹に落とし、身の回りから見直していこうと思う。
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いて現行暦に換算し鑑定している。
【参考文献】
・幕末維新風雲伝HP https://jpreki.com/unpin/ (2018年4月12日最終アクセス)
・「江戸の経済改革」 童門冬二 ビジネス社 (2004)
・「日本史有名人の家族の物語」歴史読本編集部 新人物文庫 (2011)