いつ、誰が発案したのか? いまだ謎が残される改元秘話
元号をめぐる歴史ミステリー③
◆政令を決める内閣が元号の決定権を握る
昭和27年(1952)に主権を回復した後も、元号はなかなか法制化されなかった。だが昭和が明治の45年を超えた頃から、法制化に向けた動きが活発化。全国各地で元号の法制化を求める運動が繰り広げられた。そして国会でも激しい論戦が展開されたのである。
こうした経緯を経て成立した元号法は、第1項「元号は、政令で定める」と第2項の「元号は、皇位の継承があった場合に限り改める」という、わずか2項で構成されている。それに「この法律は、公布の日から施行する」と「昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする」の2項が附則している。
元号法の施行により、昭和までの246の元号と平成には決定的な違いが生じた。それは最終的に元号を決めるのは天皇ではなく、内閣であるということだ。ただし明治以来の一世一元を引き継いでいるため、改元は天皇の崩御を意
味する。天皇存命中に新しい元号を語ることは不敬だと憚られた。
だが平成という元号を考案したとされる人物の中に、政界から皇室まで絶大な影響力を持っていた陽明学者の安岡正篤(まさおか)氏がいた。安岡氏は昭和58年に亡くなっているので、その説が正しいとすれば天皇崩御のかなり以前から次の元号が語られていたことになる。
ただし、平成を制定した時の内閣内政審議室長だった的場順三氏は安岡氏説を否定し、「平成を考案されたのは山本達郎先生」と、当時の東大名誉教授で東洋史学者の名前を挙げている。いつから検討され、誰がどんな案を出したのか、真相は不明なままだ。
〈雑誌『一個人』2018年5月号より構成〉
- 1
- 2