満鉄と関東軍は何の為にあったのか。
2ndシリーズ④「平和ボケ」日本の幕開け
■関東軍は、最初は鉄道附属地だけをちゃんと守ろうという姿勢だった
鉄道というのは大権益、権益中の権益です。商売の根幹であり、生活の根幹です。鉄道に付帯して、さまざまな事業計画が行われるからです。
南満洲鉄道株式会社、略して「満鉄」は国策会社です。国策会社は、辞書的には「主に満州事変後、第二次大戦終了までに、国策を推進するため、政府の援助・指導によって設立された半官半民の会社」(『大辞泉』小学館)などと説明されていますが、それでいいでしょう。半官半民とは、政府と民間でお金を出し合って経営にあたることです。
関東軍とは何者かといいますと、関東州を守る軍隊です。山海関よりも東なので「関東」です。
関東州とは、遼東半島の先端部と満鉄附属地をあわせた租借地のことです。ポーツマス条約でロシアから譲渡され、北京条約で清に認めさせた租借地です。満鉄附属地とは、南満洲鉄道株式会社が所有している、いろいろな事業を行うのに使う土地のことです。
関東軍に関しては、配置できる人数が決まっていました。ポーツマス条約の追加約款で、日本とロシアそれぞれ、鉄道線路一キロメートルごとに十五名を上限として守備兵を置くことができる、としたからです。つまり、関東軍一万五千人というのは、この約束を守っているがゆえの人数ということになります。
満洲の広さは、ソ連の勢力圏を含めると当時のフランスとドイツを足したくらい、日本列島の約二倍の面積です。当時の日本人も、「本土の二倍」と認識していました。これだけの広さを、一万五千人の一個師団で守っていることになります。まったくの軽武装と考えて間違いありません。
つまり最初は、まずは鉄道附属地だけをちゃんと守ろうという姿勢でした。それさえできれば御の字だろうと考えていたわけです。そのうちに、張作霖のような現地を支配している暴力団(史料表記は軍閥)がいることがわかってきます。陸軍は最初、そういった人間を育てて現地を治めさせようかと思ったら、平気で人を裏切るどうしようもない人間どもだということもすぐにわかりました。
それを承知で付き合う陸軍と、政府を通じた正式の外交経路で何とかしようとする外務省の路線対立も、激しくなっていきます。
(『学校では教えられない 歴史講義 満洲事変 ~世界と日本の歴史を変えた二日間 』より抜粋)
次回は、シリーズ⑤超安全地帯だった日本! です。