「岡田有希子と“もうひとりのユッコ”の夭折、映画界の奇才による大映ドラマブームという置き土産」1986(昭和61)年【連載:死の百年史1921-2020】第8回(宝泉薫)
連載:死の百年史1921-2020 (作家・宝泉薫)
一方、自殺がもたらした影響という意味で、社会現象にまでなった岡田のそれは計り知れない。そして、禁忌的な空気はいくつもの「怪談」を生み出した。生放送の歌番組に死んだはずの彼女が映っていた、というのもそのひとつだ。
さらに、偶然とは恐ろしいもので、デビュー直前に出版された「実録まんが 岡田有希子」(学研)には「有希ちゃんのハッスル24時間」という企画があり「午前6:00」から「午後9:30」までの彼女の一日が文章と写真で紹介されている。たとえば、
「午後0:15 事務所は、新宿区四谷の大通りに面した7階建てのビルです。制服姿で、一人歩く有希子に、まだ、ふり向く人はいません」
という文章には、後ろに全景が写り込んだビルを指差し、ニッコリ微笑む彼女の写真という具合だ。じつはこの「午後0:15」というのは2年余りのち、このビルからまさに飛び降りた時刻だったりする。
ところで、禁忌扱いされればされるほど、筆者のように彼女について語りたい人たちもいる。さまざまな証言が飛び交うなか、辻褄が合わないものが一部で広まり、中傷される人も出て来て気の毒にも感じる。
そういえば、堀ちえみが86年10月にリリースした「素敵な休日」は岡田が歌う予定だったという噂が流れ、作曲者の尾崎亜美が否定したりもした。82年デビューの堀と84年デビューの岡田はレコード会社もプロデューサーも同じで、いわば同門の関係。作家陣などもかなり重なっている。
それゆえ、堀は後輩の自殺に大きなショックを受けたと聞いているし、その1年後、二十歳の若さでいったん芸能界を引退する決断をしたことにもなんらかの影響を及ぼしたのではと考えている。
さて、堀といえば、女優としての代表作「スチュワーデス物語」(TBS系)を思い出す人も多いだろう。83年10月から半年間放送され「ドジでのろまなカメ」というヒロインのキャラを象徴する台詞が流行語になるなどした。
制作は、大映テレビ。波瀾万丈の展開と大げさな芝居といった特徴は、70年代の「赤い」シリーズでも発揮されたお家芸だが、この作品はそれがシリアスとコミカルが混在する不思議な世界として面白がられた。これを機に、同傾向の作品を量産していき「スクール☆ウォーズ」(TBS系)や「ヤヌスの鏡」(フジテレビ系)といったドラマがヒット。研究本が出版されるほどのブームが訪れる。
そんなブームを先導した増村保造が、この年の11月に亡くなった。脳内出血による62歳での死だ。
増村は50~60年代の映画黄金期に、監督として脚本家として大映を支えたひとり。黒沢明や小津安二郎とも違う独自の境地を築いた。勝新太郎や若尾文子らと組んだほか、東大法学部で同期だった作家・三島由紀夫の初主演映画でもメガホンをとっている。
その作風は、イタリア映画の流れを汲む、濃密で激しいもの。自我をむき出しにした登場人物が、生きたいように生きようとする世界を好んで描いた。映画が斜陽化し、大映が大映テレビになっても、その作風は変わらず、前出の「赤い」シリーズなどで活かされることに。そして「スチュワーデス物語」へとつながるわけだ。
その演出スタイルについて、ヒロインの相手役の「教官」を演じた風間杜夫は「若干の戸惑いがあった」と振り返っている。
「その人物は今、怒っているのか、強く愛しているのか、悲しいのか、嬉しいのか、悔しいのか、曖昧なニュアンスは求められないと。(略)それと、くっきりはっきり大きな声で明瞭に台詞を言う」
それゆえ、堀も感情をさらけだす体当たりの演技や低音の太い発声をするよう指導された。舞台もやっていた風間はともかく、アイドルの彼女にはその姿がぎこちなく映ったが、結果としてそこも作品の訴求力となったのだ。いわば、大真面目を笑うという80年代の空気にハマったのである。
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